夏目漱石の『草枕』冒頭はとても有名です。この文章は一度は読んだことがあるでしょう。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

人の世は住みにくい。これはそのとおりです。
申し遅れましたが、このブログは「友だちいない研究所」といいます。管理人である私には友だちがいません。その私が、一人ぼっちで陰キャで根暗なことを書き連ねるために開設したのがこのブログです。

学校で、職場で、さらには家庭で。人とコミュニケーションをしたり話し合ったり、その話が通じなかったりと、人と付き合うということは必ずしも嬉しいことではありません。なにしろ世界はあなたを中心に回っているわけではないのです。あなたにとって不都合な法律が成立したり、交通事故に遭ったり、病気になったとしても世界80億の人間のうち、あなたを心配する者はほとんどいないでしょう。

見方を変えると、1日に死ぬ日本人は約4,000人。でもあなたはそんなことを意識せずに生活しているはずです。私もあなたも、親族や友人以外の死というのは「知らんがな」なのです。人はみな自己都合で生きているわけですから、私はそれでOKだと思っています。

ではどうして人の世は住みにくいのか。それはまさにそれぞれが自己都合で生きている以上、見解の相違や利害対立などがあって当然のこと。世界に人間がアダムとイブしかいない二人だけの世界ならば利害対立も少ないでしょう。しかし膨大な数の人間がいるとどうなるか・・・。とりあえず三国志を想像していただければ、私からの説明は不要でしょう。


住みにくい人の世を少しでも生きやすくするには

私は最近、「ゲシュタルトの祈り」という言葉を知りました。
わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ。
これは「ドイツの心理学者フレデリック・S・パールズ(1893~1970年)がローラ夫人と共に創設した「ゲシュタルト療法」で使われる「祈り」で、パールズはワークショップでよくこの祈りを読み上げることを好んだそうです。

「わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない」。私はこの言葉を知ったとき、「たしかにそうだよな」と深く納得しました。たとえば私が仕事をするのはあくまでも食べていくためであって、会社に貢献したいわけではありません。この記事を読んでいる方の多くは社会人だろうと想像しますが、そもそもサラリーマンというのは社長の商品を売って社長の貯金を手伝うのが役割。特に創作性がなく、夏目漱石とか芥川龍之介のように成果物に自分の名前をクレジットすることができません。そのために自らの時間(時間=私にとっては命です)や体力、精神力を必要以上に投入するなど愚の骨頂。

同様に、べつに誰かのために生きたいわけではなく、そもそも会えば会うほど摩擦が起こる確率は比例して高まるわけですから、最初から誰とも会わなければ「住みにくい」と感じる機会そのものが消滅してくれます。なんだ、やっぱり人と会わないのが最強のソリューションなんですね。(と、根暗で陰キャな人ならきっと共感してくれそうな所に落ち着きました。)

結論:人と会うな