ショパンの代表作としてひときわ有名なのが2つのピアノ協奏曲でしょう。ワルシャワ音楽院を卒業した1829年夏、ウィーンを訪問して大変な喝采を浴びたショパンはさらに自らの名声を高めることを狙って協奏曲の作曲を構想します。
1829年初秋には早速創作に着手し、翌年早々には初となるピアノ協奏曲を完成させています。同じ年の8月にはもう1曲ピアノ協奏曲を作っています。
こうやって『ピアノ協奏曲第1番』と『第2番』が生まれました。出版順序の都合上、後に作られたほうが『第1番』、最初に作られたのは『第2番』となっています。なんだか引っ掛け問題のようなエピソードです。解説書などを読むと、「初恋の人コンスタンツィア・グワドコフスカへの思いを込めて作られた」と書かれていることが多いでしょう。
聴いてみると誰もがうなずくとは思いますが、後に完成した『第1番』のほうが明らかに優れた曲だと感じられるはずです。主題の魅力といい、瞑想の深さといい、終楽章の躍動感といい、どれもが『第1番』に軍配が上がったとしても不思議ではありません。ショパン・コンクールでもファイナリストのほとんどは『第1番』を選択します。わざわざ見劣りする方を選ぶとお客さんのウケも悪いし、たぶんこの場所で演奏できるのも最初で最後だろうし、完成度の高い作品を弾きこなしたほうが審査員の判断も有利になるだろうし、なにより『第2番』を選んで優勝した人はほとんどいないし・・・。
ところで、このコンスタンツィア・グワドコフスカってどんな人なのでしょう? ショパンが思いを寄せたと言うからにはさぞかし素敵な人なんでしょうね。
コンスタンツィア・グワドコフスカってどんな人?
音楽評論家・遠山一行氏の論考「ショパン」には次のように書かれていました。
コンスタンチア・グウァドコフスカは王室の離宮の管理人の娘で、ショパンと同年であり、やはり音楽院の声楽科に学んでいた。音楽院では比較的優秀な学生で、のちにオペラでも多少活躍したが、特別な才能にめぐまれていたとはおもわれない。ショパンをひきつけたものが何であったかはわからないが、人並以上の美貌の持主で男好きのする娘だったらしく、いつでもワルシャワの男たちにいい寄られたりロシア人の将校と遊びあるいたりしていた。しかし、ショパン家の知的なサークルに近寄ったことはなく、ティテュス(注:ショパンの友人)とも最後まで面識はなかった。彼女はやがて金持の貴族のグラボフスキと結婚してしまうのである。
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これを読む限りでは、「どうやらわりと美人だったらしいが反面遊び好きで、ちょっとチャラい感じ」です。今の日本に置き換えると、「中堅くらいの音大で勉強しているが将来プロになろうとまでは覚悟を決めているわけでもなく、マッチングアプリとかで知り合った男とちょいちょい遊びに行ったりしていた。休日はNetflixを見たり友だちと(親からもらった小遣いで)ランチ。大学を卒業してから企業の受付として働いていた(年収300万円台)が、大手商社勤務の男と結婚したのでさっさと仕事をやめてしまった。今は娘が1人いる。ちなみにチワワを飼っている。最近マンションを(夫が)購入した」。だいたいこんなところでしょうか。
なんだかあのショパンの初恋の人だというにはちょっとがっかりな感じがします。どちらかというとクラスで1番人気な子に一方的に片思いしたみたいですね。若い男ってつまりそういうもんなんです。年を取ってからそれは恋じゃない性欲だと昔の自分に教えてあげたくなるものです。知らんけど。
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