ヴァイオリンを弾くうえで、「感性」というのは重要です。音楽・・・というか芸術というものは、「感動」と切っても切れない関係ですから当然ですよね。

プロとして活躍している人であっても、「感性」とか独特の癖、生まれ育った地域に由来する音楽語法などが西洋クラシック音楽にフィットしないことがまれにあります。
たとえば諏訪内晶子さん。チャイコフスキー・国際コンクールで1位を受賞し、しばらくはコンサートを続けていましたが、その活動を一時中断してアメリカに留学します。

改めて勉学そしてレッスンの日々を過ごしていると、教師から「そのチャイナ・ミュージックはやめなさい」という指導を受けることがあったとか。チャイナ・ミュージックというのは日本や東アジアの、フレーズの最後を強く弾いてしまうようなしぐさを指しているらしく、知らないうちにそういう癖がでてしまったようです。

これ以外でも、音楽に触発されて出来た文芸作品とか、逆に絵画や文芸作品に影響を受けてできた音楽というのもあります。前者ならトルストイの『クロイツェル・ソナタ』など有名ですし、シラーの「歓喜に寄す」がなければベートーヴェンの『第九』もなかったでしょう。ゆえに日々色々な芸術に親しんで、自分の感性を磨いておくこともまたヴァイオリニストの務めであるはずです。

・・・などと偉そうなことを書いてしまいましたが、私は長年にわたり大きな失態を気づかぬうちに犯していました。コンビニワインです。

私は酒が強いのをいいことにしょっちゅうワインを飲んでいました。当然シャトー・マルゴーとかロマネ・コンティとかではなく、1本1,000円程度のローソンとかセブン-イレブンで売ってるようなものがメインです。さらにケチな性格が災いして、1本500円を切るようなものを買うときもありました。

いや、大失敗でしたね。そりゃチリワインなんかは安旨ワインということで有名です。でもこれくらいの価格のワインなら「ワインを楽しむため」のワインではなく、どちらかというと「ワインっぽい雰囲気を味わいながら、とりあえず酔っ払うため」の飲料といった感があります。

ご存知のとおり、缶コーヒーというのは缶コーヒーという飲み物であって、豆から挽いたコーヒーとはまったく別物です。
同じく、コンビニで売っているワインは「コンビニのワイン」というジャンルであって、香りとか抜栓のあとで時間の経過とともに少しずつ変化してゆく味わいや香りの深さというワインの醍醐味がごっそり抜け落ちているのです。

NHKホールの3F席でN響を聴いたことがある方は、「なんだこの鎮火しかけた対岸の火事を眺めているような光景は」という思いをしたことがあると思います。
一方でサントリーホールのRBブロックあたりで(天皇陛下がお座りになるのもたしかこのエリアだったはず)、非常にうまくいっているときのブルックナーを聴いたときの響きはどうでしょう。同じオーケストラでもホールの設計や座席の位置で感銘がまるで違うことが実感できるはずです。

私はつい最近まで1,000円程度のワインに慣れきってしまい、そのままその行動パターンが定着してしまうという悪循環でした。ゆえにたまたま1,800円くらいのワインを買って飲んだ時の驚きといったら。この有機的な味わい。鼻の奥でめくるめく官能。これがワインか。今まで何だったんだ。安いワインばかり飲んでいて、ショパンもワーグナーもメンデルスゾーンも理解できるはずがあるまい・・・。

というわけで私はコンビニワインからの脱却を果たしました。それにしてもなぜ今まで気づかなかったんでしょう、コンビニワインはコンビニワインでしかないということに・・・。