シューベルトの弦楽四重奏曲のなかでも特に有名なのが『死と乙女』。正確には『弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D.810「死と乙女」』です。1797年生まれの彼は1828年に没しています。長いとはいえない生涯のなかで『未完成』『グレイト』のような交響曲の他、『美しき水車小屋の娘』や『冬の旅』といった歌曲を残しており、ロマン派の嚆矢とも言われています。

彼の作風はどうやら自分が梅毒にかかり、自らの余命を意識し始めたことをきっかけに変わったとされています。晩年のピアノ・ソナタや、死場所を求めてさすらう若者を描く『冬の旅』など、常人にはなしえない創作ですから、その説にも一理あるでしょう。

『死と乙女』もその一連の流れのなかに位置づけることができるはずです。この作品は1824年3月に着手され、苦心しつつも1826年1月にようやく完成しています。タイトルの由来は言うまでもなく「死と乙女」という歌曲の伴奏メロディを第2楽章に転用しているからです。全4楽章すべてがニ短調で書かれていることにも注目すべきでしょう。ニ短調。西洋音楽では「死」を暗示する調性であり、レクイエムの多くはニ短調で作られています。

というわけでさぞかし不吉な弦楽四重奏曲・・・、あれっ、でもなんでこんなに綺麗な音がしているの?


気品ある『死と乙女』の演奏

私が聴いたCDはウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団。そりゃウィーン・フィルなら気品あるに決まってますよね。カレーを食べて「うっ辛いな」って感じるのとなにも違わないですね・・・。
しかしこの演奏は、あれ『死と乙女』ってこんなに優美な曲なんだ、俺もこんなふうに幸せにタヒねたらいいなと勘違いしてしまう素晴らしい演奏なのです。

何しろ演奏者からしてふるっている。
第1ヴァイオリン:ウィリー・ボスコフスキー
第2ヴァイオリン:オットー・シュトラッサー
ヴィオラ:ルドルフ・シュトレンク
チェロ:ローベルト・シャイヴァイン

ボスコフスキーといえば四半世紀にもわたってウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮し続けたことがあまりにも有名。そんなに長い期間ワルツやポルカを振ってて飽きなかったんでしょうか。きっと飽きなかったんでしょう。大好きだったんでしょう。だから続けられたんでしょうね。彼の指揮するウィンナ・ワルツは誰もが納得する幸福感に包まれています。まるでルノワールの絵画のよう。

シュトラッサーもウィーン・フィルの第2ヴァイオリン首席奏者ですし、ルドルフ・シュトレンクはシュトラッサーとともにバリリ弦楽四重奏団の団員でもありました(シャイヴァインについてはすいません、ウィーン・フィルの団員だということしか分かりません)。

彼らの演奏は小さなウィーン・フィルといっても過言ではありません。練られたアンサンブル、かといって機械のように正確なと表現すると違います。人間的な暖かみがあり、技術があるからといってそれを本当に技術を示すために用いるのではなく、あくまでも作品に奉仕するために使われています。

私はこのCDをかなり久しぶりに聴きましたが、最近のアンサンブル精度の高い弦楽四重奏団と音楽的な立脚点があまりに違うので驚きました。と同時に、4K放送のごとく明晰さばかりが追求されがちな近年のオーケストラなり弦楽四重奏団なりのアンサンブルに(実演で聴くと驚嘆するに決まっていますが)「本当にそれでいいのか」と疑問を投げかけたくなるのでした。

そして、こういう演奏を収めたCDがブックオフなどで無造作に300円くらいで叩き売りされているのを見ると・・・、私は旅先であろうと何であろうと中古CD店を見つけるときまって立ち寄るのは、つまりそういうことです(この前も琵琶湖のほとりのブックオフで、すすきのの近くのブックオフで、30分くらいガサゴソと掘り出し物を探しました)。