マンスフィールド・・・、なんていう名前を知っている人がいたら相当英文学に造詣が深い方でしょう。
1888年ニュージーランド生まれ。少女時代から小説家になることに憧れロンドンに移住。チェーホフの影響のもとに培った表現方法は短編集『園遊会』に花開き、作家としての名声が高まりいよいよこれからという時、34歳の若さで病に倒れ没します(1923年)。

このマンスフィールドというのはペンネームで、本名はキャスリン・ビーチャムといいます。しかしどうしてニュージーランドからロンドンみたいな暗くて憂鬱な街に行こうと思ったのか・・・、まあ大英博物館はあるわ、劇場はたくさんあるわ、経済規模も文化の厚みも彼女が生まれたウェリントンとは大違いなので気持ちはわかります。

ちなみにウェリントンをGoogleストリートビューで見てみると、「これが首都か?」と思ってしまいます(失礼)のでますます気持ちがわかります。

彼女の代表作は短編集の表題作「園遊会」のほかに、「初めての舞踏会」も哀感が漂う傑作と言ってよいでしょう。
私の持っている新潮文庫版の裏表紙にはこう書かれています。
「はじめての舞踏会」を英文で読んだ高校生の江藤淳は、マンスフィールドの生のなかに、「死が通過していく音」を聞いた。その「死の重みを秘めた生の美しさ」の体感こそ、批評家江藤淳の出発点であった。
江藤淳といえば、遠藤周作の『沈黙』を読み、ノーヒントで作品の根底にあるものは父性ではなく母性であることを見抜いた批評眼の持ち主。しかしこの作品の「死が通過していく音」とは・・・?


「初めての舞踏会」の哀感

これは少女リーラが初めて舞踏会に参加したときのお話。今ではジュリアナ東京のようなところがあり(いや、今はないか)、ダンスと言えばああいうところだと思ってしまいます。でもこれは20世紀初頭ですから舞踏会の音楽は生演奏。当時は〇〇ワルツとかなんとかポルカが演奏され、演奏曲目がプログラムとして配布されていたようです。ここでバック・トゥー・ザ・フューチャーのようにジョニー・B・グッドを演奏しようものなら、いやエレキギターもないか。

リーラは舞踏会=オトナの世界に足を踏み入れて金髪男子とダンスをしたり、アイスクリームを食べたりと初めてにしてはなかなか楽しんでいます。

ここによれよれの服を着た、太ったおっさんが現れてリーラに声をかけます。なんだか怪しい雰囲気ですね。

「舞踏会は初めてなんでしょう?」

「あら、どうしてわかりますの?」

「私はこういったことをもう三十年もやっているんですよ」

・・・。たまにネットニュースで婚活を10年やり続けたものの結婚できない婚活のプロみたいなおっさんとかおばさんが話題になりますがこの人もそのパターンでしょうか。ただ舞踏会に出るならよれよれの服なんて処分してちゃんとしたタキシードでも仕立ててほしいですね。だから同じことを三十年もやり続ける羽目になるんですよ。

このおっさん、べつにいやらしい目的でリーラに話しかけてきたわけではなく(だと思いたい)、「いつまでも今の若さがキープできると思っちゃいけないぞ」ということが言いたかったようなのです。そこでリーラは一瞬ぎくりとします。
そうすると、この初めての舞踏会は、結局、最後の舞踏会の始まりにすぎないのだろうか? すると、音楽も変るようにおもわれた、悲しげにひびいた、悲しげに、大きな溜息に乗ってくるようだ。ああ、物事はなんと急に変わることだろう! 幸福は、なぜ永久につづかないのだろう?
この感情は彼女の心に影を落とします。でも長くは続きません。別の男がやってきておじぎをしてくれたのです。一緒に踊ってくださいってことですね。
というわけで彼女はまたうっとりとした表情をしながら踊るのでした。ダンスの最中にさっきのおっさんにぶつかりますが、もう彼女は気にすることもありませんでした。

・・・うーん、たしかに人はいずれ死ぬわけですから、「死が通過していく音」というのは確かにそうかもしれません。でもここでは青春のうちに一瞬のかげりが生じてフッと過ぎ去ってすぐに幸せな雰囲気に戻るわけですから、モーツァルトの得意な「長調のメロディが流れている途中で一瞬短調に転調して悲しげな雰囲気になり、すぐにまた長調に戻る」を小説でやってみたパターンだとみる方がより適切ではないかと思います。

モーツァルトが転調のマジックで透明な悲しみを表現しつつもベートーヴェンやブラームスのように深刻になりすぎないように、「初めての舞踏会」で描かれているものは「死」という単語をあえて持ち出すほどまでだとは言えないのではないか・・・。
久しぶりに「初めての舞踏会」を読み直し、そんなことを考えました。ということは私もリーラじゃなくておっさん寄りの年齢になってしまったんですね。なんて骨体。