エドワード・エルガーの『弦楽セレナーデ』は全曲を通して聴いても12分ほどの可愛らしい曲になっています。「可愛らしい」と書いたのもそれもそのはず、妻キャロライン・アリスに、3回目の結婚記念日のプレゼントとして贈られたというエピソードがあります。
第2楽章はハ長調。臨時記号のない調性なだけに純粋無垢なイメージを持たれる方も多いでしょう。
しかし「弦楽」というのが曲者でして、ヴァイオリンやヴィオラ、チェロそしてコントラバスといった弦楽器はギターのようなフレットがないため、音程を自分で決めなければなりません。
「決める」という言い方はちょっと不適切でしょうか。フレットがあればそのフレットの範囲内のどこに左手の指を置いても同じ音程になります。ところがヴァイオリンの場合、1mmずれただけで全然違う音が出てきてしまいます。初心者にとってはこれが理不尽とも言えるレベルの地獄でして、あまりに無茶苦茶に音程が外れるので(そしていつまで経っても安定しないので)すぐに挫折してしまうというパターンになりがちなのです。
しかし初心者セットでも10万円はするのに、基本の「き」で挫折してしまうなんて二重に可哀想ですがこのような話は後を絶ちません。
他方で熟練の奏者にかかれば、左手の指を置く位置をわずかに変えることで音程を変化させ、そのことで音楽の表情を微細にコントロールできるというメリットになります。
今日ご紹介するエルガーの『弦楽セレナーデ』第2楽章は・・・。
これはロンドンに本拠を構えるアカデミー室内管弦楽団の演奏です。
この動画の解説には次のように書かれています。
An extraordinary lifetime of dedicated and steadfast service, the Academy joins the nation in mourning the passing of Her Majesty Queen Elizabeth II and in offering our condolences and thoughts to the Royal Family. We share our reflection how we know best, through music in Elgar’s Serenade for Strings. May she rest in peace.(献身的かつ着実に公務にその生涯を捧げられたエリザベス2世女王陛下の崩御にあたり、国民とともに悼み、哀悼の意を王室に表します。エルガーの『弦楽セレナーデ』を通じて、私達が最もよく知っている方法で追悼いたします。女王陛下よ安らかに。)
普段は私はマッケラスとかデイヴィスとかの録音を聴いていますが、この有名なセレナーデの第2楽章がこれほどまでに悲しげな装いをまとっているのを私は耳にしたことがありません。やはりエリザベス2世という存在は英国にとって大変大きなものだったのでしょうし、だからこそこのように曲のすみずみにまで共感がこもった、なおかつ元々は妻に捧げられているはずなのに悲しい曲のように響いてしまうのでしょう。
この演奏を聴いていると、指揮者・斎藤秀雄氏の弟子たちが事あるごとに語り伝えようとした1974年8月の志賀高原の桐朋学園のオーケストラ合宿のことが思い出されます。
このとき斎藤秀雄氏はガンの病状が進行し余命いくばくもないことをご本人も悟っていました。しかし周囲の静止を振り切って学生たちを追いかけ、合宿二日目の練習に車椅子を押されて譜面台の前に立ちました。でも昔は学生を叱咤するあまり恐れられていたのに、今ではほとんど体が言うことを聞きません。この時に練習したのはチャイコフスキーの『弦楽のためのセレナード』、学生は敬愛する先生との最後の演奏だと悟り、涙で楽器を濡らしたそうです。
翌日はモーツァルトの『ディヴェルティメント(嬉遊曲) K.136』。通常の速度からかけ離れた遅いテンポでありながらも心が完全に一致していた演奏だったと弟子たちは語っています。
同じ宿に宿泊していたお客さんのひとりがこの時の演奏を耳にして、「今晩は本当にすばらしかった。ありがとうございます。ところで、ディヴェルティメントというのは、お別れの歌という意味ですか」と声をかけてきたところで学生たちは嗚咽したそうです。
アカデミー室内管弦楽団の演奏といい、桐朋学園オーケストラのこのお話といい、いわゆる「何度も聴いた」はずの曲であっても気持ちの込め方、ニュアンスの磨き上げ方で演奏の質がたちどころに変わってしまうという紛れもない例ではないでしょうか。
注:本記事作成にあたり中丸美繪『嬉遊曲、鳴りやまず』を参考にさせていただきました。
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