『海賊』といえば世の中にたくさんあるバレエ作品のなかでも割りと有名なもの。
恋愛あり、チャンバラありで男性ダンサーたちが大いに活躍するこの作品はバイロン卿の叙事詩を下地にしています。

主要登場人物は次の通り。
コンラッド:海賊の首領
メドーラ:コンラッドの恋人
パシャ・ザイード:オスマントルコの高級軍人
ギュルナーレ:ザイードの奴隷

ということに一応はなっています。しかし登場人物がたくさんいるうえに、彼ら(彼女ら)がさらったり、さらわれたり、騙し討ちにあったりといった展開になっており、初見の人にとっては「?」でしょう。

しかもなんだかバレエ団によって人物関係が微妙に違っていたり、あらすじもかなりばらつきがあったりと、ますます「?」になります。Aバレエ団で見た時の『海賊』と、Bバレエ団の『海賊』でずいぶん違うな、なんだこりゃ? ということになっても不思議ではありません。

私の手元にある『バレエ♡ヴァリエーションPerfectブック』によると、

このバレエがいまも上演されつづけているのは、19世紀後半にロシアで作り直されたからです。(中略)20世紀位になっても、ロシアでいくつも改訂版がつくられました。いっぽう、欧米では20世紀末まであまり上演されませんでした。しかし1998年、アメリカン・バレエ・シアターの上演が大成功し、それ以来人気のバレエとなっています。

初演のマジリエ版の音楽を作ったのは、『ジゼル』を作曲したフランスのアドルフ・アダンです。(中略)しかし、その後作り直されるたびに、いろいろな作曲家が音楽をつけ加えていきます。

(中略)

このように『海賊』の音楽は多くのバレエ作曲家の合作で、踊りやすい曲がパッチワークのように組み合わされているのです。

うーん、バレエ音楽というのはその時その時によって内容が違っていて、なおかつ楽譜が残っていないということが普通にあると聞いていましたが、まさかいろんな作曲家が寄ってたかって作っていたとは。

私が2023年5月に鑑賞したNBAバレエ団の『海賊』には、作曲家の新垣隆さんも一部楽曲を提供。客席で聴いていると感動的な幕切れの場面で「これはプッチーニか?」と思うような響きがしており、たぶんこのあたりが新垣さんの作曲によるものなのでしょう。なにしろ元々の作曲家のアダンのオーケストレーションとまるで違うんですもの。これはCDが市販されてないのがもったいない。

もちろん別のバレエ団が『海賊』を上演するときはこのバージョンは使われないわけで、もはや見るたびに「自分が知っている『海賊』じゃないけど『海賊』」を鑑賞するということになります。

ある意味これが『海賊』の魅力なのかもしれません。決定版というものがないからこそ、毎回微妙に新鮮さがあり、緊張感をもって作品に向き合える。楽譜を尊重するクラシック音楽のジャンルのなかで、バレエ音楽って特殊な立ち位置で、悪く言えばけっこういい加減だとは知ってはいたものの、ここまでくると逆にいろんな種類があって訳がわからないのが逆に魅力だととらえたほうがよいでしょう。

察するに、昔から『海賊』はそういう作品だったのであり、私たちが生まれる前からそうだったということは私たちが死んだあともきっとそういう作品であり続けるのでしょう。・・・ある意味、作曲家とか振付師に永遠に仕事を提供し続けてくれるありがたい存在なのかもしれません。