東京の中心部、アメリカ大使館のほど近くにあるサントリーホールは日本で最も有名なコンサートホールであることは間違いないでしょう。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団といった世界有数のオーケストラの来日公演はここで行われますし、この他にオバマ大統領(当時)の講演会も開催されたことがあります。その豊かな残響に身を浸していると、「ああ、この響きを体で感じたかったんだ」という気持ちになります。

これは、そのサントリーホールにタダで入場することを思いついた男の物語。いえ、思いついただけではなく実際に実行した男のノンフィクションストーリーです。


コンサートホールにタダで入場する方法

指揮者が書いた本を読んでいると、「カラヤンのリハーサルをどうしても見たくなったので、当時大学生だった自分は〇〇ホールに忍び込むことにした。最初は電気工事士のフリをして通用門から入った。だんだん怪しまれるようになったので、今度はオーケストラ団員のフリをするためにヴァイオリンケースを携えて通用門から入ることにした。入る時に『こんにちは』と守衛さんに挨拶をしたら『こんにちは』とそのまま入れてくれた」のようなことが書かれてあったりします。

今日紹介する男が考えついた方法とは・・・。
(以下、東京地方裁判所 平成22年(行ウ)第738号 平成23年10月31日の裁判記録からの引用になります。)

公立小学校の音楽教諭が、クラシックコンサートの公演を鑑賞するため、合計8回にわたり入場料を支払うことなく不正に公演会場に入場したことが地方公務員法33条の信用失墜行為に当たるとして、教育委員会が前記教諭を懲戒免職処分としたことにつき、その取消しを求めた事案において、各不正入場行為の態様は巧妙かつ悪質であり、その常習性も顕著であり、本件処分後に一転して否認に転じ不合理な弁解等を繰り返していること等にかんがみれば真摯な反省の態度を示しているとはいえないことなどから、本件処分は社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱しこれを濫用したものとはいえないなどとして、原告の請求が棄却された事例。

いきなり結論ですが、タダでホールに入る方法を実行したのは小学校の音楽の先生でした。でもそれがバレて教員をクビになりました。この教員(=原告)は「クビはあんまりだ。クビを取り消してくれ」と裁判所に訴えるも、弁解が不合理で反省していない様子が見られるので、この訴えが棄却されたという事件です。

原告は、平成20年9月18日午後6時50分ころ、サントリーホールにおいて、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(以下「ウィーン・フィル」という。)の公演を鑑賞するため、当日の公演チケットを持っていなかったにもかかわらず、使用済みのチケットの半券を、当日の公演チケットの半券であるかのように装って入口の係員に示すという方法で、入場料を支払うことなく、公演会場に不正に入場した。

(中略)

このようにして、原告は、ウィーン・フィル等の公演を鑑賞するため、合計8回、約18万3000円相当の入場料を支払うことなく、公演会場に不正に入場した。
この日の指揮者はリッカルド・ムーティ。プログラムはヴェルディ『ジョバンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)』序曲、『シチリアの夕べの祈り』からバレエ音楽「四季」。さらにN.ロータのトロンボーン協奏曲と交響的管弦楽組曲『山猫』でした。なんだか通好みの曲ばかりですね。正直、自分なら行かないです。2,3万も払ってこれはないでしょう。いやタダなら行くか。

使用済みのチケットの半券で入場? そんなことできるの? できます。サントリーホールではないものの、私は2023年1月7日(土)、幕張メッセで行われた「ラブライブ!スーパースター!! Liella! 3rd LoveLive! Tour ~WE WILL!!~」に参加しました。しかし幕張メッセというのはホールがいくつもあって、入口を間違えた私は似たような雰囲気の別のイベントの入口を通過できてしまいました。ちゃんとスマホの画面にラブライブ! の電子チケットを表示させて受付の人にまじまじと見せつけたのに、この受付がザル男であまり見ようともせず「ハイハイ」と私を通したのでした。

あれなんかラブライブ!じゃないな、違うキャラだな・・・、と思って周りを見渡したらホールの番号が全然違うことに気がついてダッシュで来た道を引き返しました。お陰で遅刻しそうになりました。

この裁判で問題になったコンサートは午後7時に開始でしたので、察するに開演直前にギリギリセーフで間に合った風に装って受付の人に検札のいとまをほとんど与えなかったのでしょう。

ともあれ引き続き裁判記録を読み進めます。裁判所はこの事件を次のように判断しています。

ア 原告は、平成17年ころ、サントリーホールにおいて、座ることができるはずのない席に座っているとして、係員からチケットの提示を求められた。それ以降、原告は、サントリーホールの係員にマークされていた。

 イ 原告は、平成20年9月18日午後6時50分ころ、サントリーホールにおいて、別表〈8〉の公演を鑑賞するため、当日の公演チケットを持っていなかったにもかかわらず、使用済みのチケットの半券(書証略。同月6日の大宮ソニックシティ大ホールにおけるNHK全国学校音楽コンクールの入場チケット。チケットぴあで発行されたもの。)を、別表〈8〉の公演チケットの半券であるかのように装って入口の係員に示すという方法で、入場料を支払うことなく、公演会場に不正に入場した(別表〈8〉の不正入場行為)。

 ウ 原告は、同日の後半の公演の1曲目が終了した後、係員にチケットの提示を求められた際、クロークに預けたかばん中に入っていると答えたが、公演終了後に同チケットを提示することができず、警察に通報された。原告は、警察官に任意同行を求められ、同日午後10時40分ころから、警察署において警察官による取調べを受けた。その際、原告は、3年前から年2回程同様の手口で不正入場したことを認める供述をした。なお、警察官による取調べの際に、原告は、使用済みチケットが存在する旨話したことはない。

 エ 原告は、同月19日午前1時ころ、原告の身柄を引き受けるために警察署を訪れた副校長が同席の上、再び警察官の取調べを受け、改めて別表〈8〉の不正入場行為を認めるとともに、3年前から年2回程同様の手口で不正入場したことを認める供述をした。
 そして、同日午前1時30分ころ、原告は、身柄を副校長に引き渡され、警察署から帰宅した。

(注:別表の引用は省略します。)

このように起こった出来事を時系列に沿って書き起こし、「クビ」という処分が「社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱したと認められるか否か」、つまり「あまりにも重すぎる処分かどうか」を検討します。その結果、
使用済みチケットの記載内容を係員が注意して確認すれば別の公演のものであると容易に確認できたはずであるとしても、全体の印刷が似ているチケットぴあ発行のチケットの半券を用いており、しかも、コンサート会場においては短時間に大量の客の入場に対応することからすれば、そのような特質を利用した態様も巧妙かつ悪質
であり、この他にも複数回同じ手口を用いていることから
不正入場行為をわずか4か月足らずの間に繰り返し行ったものであり、その常習性も顕著であるといわざるを得ない。

と評価しています。言っておきますが私の場合は幕張メッセのアルバイトがザルだっただけです。私はラブライブ! に登場するウィーン・マルガレーテ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ではなく)を見たくて幕張メッセに行ったのであって、隣のイベントに侵入したかったのではありません。

よって裁判所は
本件処分後に一転して否認に転じ、不合理な弁解等を繰り返していることなどにかんがみれば、真摯な反省の態度を示しているとはいえない。
とし、「クビ」という東京都教育委員会の判断は妥当だったと結論づけています。

っていうかいい大人がコンサートをタダで聴こうなんて考え自体子供じみています。チケットくらい金払って買いましょう、ということですね。