ユーディ・メニューインといえばまさに20世紀を代表するヴァイオリニスト。ユダヤ系でありながら、ナチス・ドイツ治世下のドイツに踏みとどまって音楽活動を続けた指揮者フルトヴェングラーを擁護したことからもうかがわれるようにヒューマニストとしての側面も持ちます。

SP時代には数々の名録音を残しており、ブルッフやモーツァルトの協奏曲はとくに名高く、彼の名前は今なお様々なヴァイオリン関係の書籍で言及されていることからも、やはり大家といってよいでしょう。

その彼は昭和26(1951)年に日本で演奏会を開いています。敗戦後初の海外からの名演奏家の来日とあって彼の演奏会は国家的といってもよいほどの注目を集めました。当時の朝日新聞記事を参照してみましょう。

メニューヒン氏、初の演奏

拍手に軽く微笑

来賓にリ大将夫妻
神業に聴衆酔う

本社の招いた世界的ヴァイオリニスト、エフディ・メニューヒン氏は十八日午後七時、万雷の拍手に迎えられて日比谷公会堂のステージに初演奏の姿を現わし、アドルフ・バラー氏のピアノ演奏でバッハの「パルティータ」ほか三曲を演奏。リッジウェイ大将夫妻、吉田首相をはじめ会場を埋めた二千七百の聴衆を魅了した。

(朝日新聞昭和26年9月19日記事より)

見出しとリード文はこのようなものでした。リッジウェイ大将は、第2代GHQ最高司令官です。初代司令官マッカーサー元帥が1951年4月にトルーマン大統領によって解任され、その任を引き継ぎました。つまり連合国占領軍の代表と日本の総理大臣が臨席のもと行われた演奏会だったわけです。こりゃオリンピックレベルです。以下の引用も同日記事の続きです。
定刻、エンビ服姿の二人(注:メニューインと伴奏のバラー)は歩をステージに運んだ。アラシのような拍手に柔らかくほほえんだ巨匠の目が二階正面最前列に向けられた。そこには来賓のリッジウェイ最高司令官夫妻、吉田首相、田中最高裁長官夫妻、林衆院議長夫妻、そしてわが国提琴界の草分け安藤幸子さん(七五)ら・・・。

(中略)

ヴァイオリンにアゴがあてられ、心持ち足を開いたまま、無造作に見えるほどの構えから最初の旋律がくらい観客席を流れ出した。ナマで聞く”世紀のヴァイオリニスト”が最高技術を傾ける旋律に聴衆は全く魅了された。

当日の感想として、近衛秀麿のコメントが掲載されています。
これまで日本に来たエルマン、ハイフェッツ、シゲティのようなアウエル系統のあまい演奏でなく端正でヨーロッパ的なのは師のエネスコ、ブッシュ両氏の影響だと思う。感激のうちに聞いたが、会場の反響と環境が悪いというコンディションは残念だった。
ここでいうアウエルというのはおそらくレオポルド・アウアーのことを指しているものと思われます。エルマンが「あまい」というのはわかるとして、ハイフェッツの演奏を聴いて「あまい」という感想を持つ人はたぶん近衛秀麿だけではないでしょうか。シゲティの硬質な響きを「あまい」と評するのも首を傾げざるをえません。
ただ、「会場の反響と環境が悪い」と感想を述べているのは日比谷公会堂にいささかの忖度もなく正直者! と言いたくなります。なにしろ現代なら朝日新聞で「NHKホールのデッドな響きにはいつも辟易している」なんてこと書けません(というか執筆者が忖度して書こうとしない)わけですから。

ちなみに翌日の演奏会には皇太子殿下が鑑賞されたようです。皇太子殿下はことに音楽がお好きらしく、数年後のシャルル・ミュンシュ来日公演でも後にご結婚することになる美智子様をお連れになって鑑賞されています(その映像はDVD化されています)。

この伝説的とも言える来日公演から数十年後、ヴァイオリニストを志した東京出身のある青年が視覚障害というハンデを乗り越えて英国音楽院に留学し、首席卒業を果たします。この青年に卒業証書を直接授与し、激励の言葉をかけたのもまた晩年のメニューインでした。

この青年は言うまでもなく川畠成道氏であり、卒業式の様子がやはり朝日新聞の「天声人語」で取り上げられるとその記事に注目した日本フィルハーモニー交響楽団から「メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』を演奏してほしい」とオファーがあり、プロデビューを果たすことになります。
しかしこの話はメニューインとは別のお話ですので、また記事を改めたいと思います。