2022年9月8日には英国の女王・エリザベス2世が滞在先のスコットランドにあるバルモラル城において老衰のため崩御。在位期間は70年を超え、20世紀後半から21世紀前半まで、いわば「戦後のイギリス」をほぼカバーする時代の象徴として英国の人々のみならず、日本をはじめとする諸外国の国民からも敬愛される存在でした。

それはそれとして、なにか耳目を集める出来事が起こるとこれに便乗しようと色々な商売が始まるのは世の常。葛飾区亀有公園前の派出所にはとても有名な警察官が勤務することで知られており、松茸を販売したりキャラクターグッズを開発したり、テーマパークを設計したりと何かにつけてブームに乗っかって副業を始める行動力は多くのビジネスマンの手本とするところでしょう。

このように、ワールドカップが話題になればサッカーのグッズが売れたり、WBCが話題になれば今度は野球のグッズが売れたりと、とにかく世の中の営利企業は商売に躍起になります。

ひところ「ダ・ヴィンチ・コード」が流行った時、ある編集者は「ダ・ヴィンチ・コード」と深い関係があるわけではない本の表紙を「最後の晩餐」にするだけですごく売れたと言っていました。でもアマゾンで星1つの低評価。「ひどい編集だ」。え、それ何ていう題名の本なの教えてよ。彼は教えてくれませんでした(実話)。

私もつい最近英国王室について本を読んでみたところ、







つまんねえ!!










途中で読むのをやめました。




歴史の本はただ歴史を解説すればいいってものじゃない

その本は(Kindle Unlimitedで読んだので懐が痛んだわけではないが)ノルマン王朝からプランタジネット朝、ランカスター朝、ヨーク朝、テューダー朝・・・と歴代王朝について触れており、ヘンリー何世がどうした、欠地王ジョンがどうした、と歴代の王について一人あたり2ページ程度でまとめています。これを読めば少なくともイギリスの王朝については大学入試レベルでは十分通用する知識が得られそうです。

しかしこの記述法には致命的欠点がありました。

つまらないのです。

何しろ文章の叙述がもろウィキペディア調。

たとえばエドワード1世は、
ヘンリー3世の長男であり、1272年に父王の崩御で即位し、以降1307年の崩御までイングランド王として君臨した。内政面では法整備を進めたことや1295年に代議制議会の要素が強い模範議会を招集したことなどが特筆される。外交では近隣諸国との戦争に明け暮れ、ウェールズやスコットランドに侵攻して併合したり、アキテーヌを巡ってフランスと戦争するなどした。しかしスコットランド支配は激しい抵抗運動を招いて最終的には破綻し、フランスとの戦争はやがて百年戦争へと繋がっていく。

(ウィキペディアより)

ウィキペディアがこういう文章なのはわかります。何しろ事典なのですから。
しかし書籍でこういう文章が何十ページも続くと思うとげんなりしませんか。私は力が抜けました。
反面、どうして司馬遼太郎の小説が時代を超えて愛読されるのかよくわかります。なにしろ躍動感があって人物に共感できる書き方になっていますから。

歴史の本が小説の文体を採用しろとまでは言いませんが、無味乾燥な事実紹介が延々と続くのはいかがなものか・・・。

「漫画でニーチェを解説」「漫画で〇〇心理学を説明してみた」式の本がえてしてつまらないのも同じです。なにしろニーチェなりユングなり、有名な哲学者や学者の言葉に絵がくっついているだけで、「漫画」と呼称する水準に達していないのですから・・・。

今回、「こりゃ便乗本じゃないの?」と疑ってしまう歴史の本を読んでみた結果、意外にも歴史の本がなぜつまらないのか(なぜ退屈になってしまうのか)、腑に落ちました。逆に勉強になったぜ。