シューマンの交響曲のなかでもそのサブタイトル「春」からしてひときわ名高いのが『交響曲第1番』。
四季のある国・日本で生活している私たちにとっても春といえば桜といい、つくしといい、入学式といい、新しい生活を予感させるシーズン。なんとなくめでたい雰囲気がそこはかとなく漂います。であればこの作品が日本人に好まれるのも不思議ではありません。
後にシューマン自身の手で除かれることになりましたが、第1楽章は「春のはじまり」、第2楽章は「夕べ」、第3楽章は「たのしい遊び友だち」、第4楽章には「春たけなわ」という題名がつけられていました。
そうか、そんなに春が待ち遠しかったのか・・・。そりゃドイツの冬なんてろくなもんじゃないからな・・・。
この交響曲は1841年2月20日に完成し同年3月31日に初演。ザクセン王国のフリードリヒ・アウグスト2世に献呈されています。そりゃ春にリリースしようとしたらその前の冬に仕込んでおかないとムリですよね。よく考えてみたら当たり前の話ですよね。私はてっきり「春に作られたんだ」とか思っていました。
指揮者・佐渡裕さんはこう著作のなかで述べておられます。
どんよりとした寒空の下で春の日差しを待ちわびる生活をしてみると、たとえば「春」と名付けられたシューマンの「交響曲第一番」が、実は春につくられたのではないことが身をもってわかる。「春の始まり」という標題が与えられた「第一番」の第一楽章は、冒頭の金管楽器が春を呼び覚ますように響き、あたり一面が緑色を帯びてきて、蝶が舞う様子が暗示される。主部のアレグロでは、すべてが春めいてくることを示しているようだ。しかし、シューマンはこうした情景を目にして、この曲を書いたわけではない。メンデルスゾーンに宛てた手紙には、春めいた情景は作品完成後に浮かんだイメージだと記している。実際、この作品が描かれたのは一月から二月にかけての短い期間、まだ暗い空の下で春の光を待ちわびているころだった。(佐渡裕『棒を振る人生』より)
うーん、思い込みというのは恐ろしい。何が恐ろしいといって、思い込みというのはそれが思い込みだと気づくまで絶対に気づかないのです。
これはヴァイオリンの練習のために楽譜を読んでいて、付点音符の計算を間違ってしまったり、でもそれでいいだろうと思ってそのまま弾いてしまったりということにもつながります。
この思い込みでとんでもないミスをやらかすアイドルもいます。
R-Village Girls(RVG)@rvillagegirlsメンバーのMEIが、青海と青梅をまちがえて、今、八王子にいます。
2016/10/01 11:21:28
急いで向かっていますが❶回目のステージは間に合いません。
楽しみにしてくださっていた方、申し訳ございません。
YUKINAとKAHOで頑張りますので、応援よろしくお願い致します。
この他、元乃木坂46・秋元真夏さんはラジオ番組で「(神奈川の)鎌倉に行こうとして電車に乗ったが、葛飾区鎌倉に着いてしまった」というエピソードを披露。葛飾区鎌倉周辺には京成高砂駅、京成小岩駅などがあるものの「鎌倉」という名前の駅はありません。おそらく「鎌倉に行こう」と思った場所からグーグルなどでルート検索をしたところ出てきたサジェストをそのまま鵜呑みにしてしまったようです。都心から葛飾区鎌倉なら30分はかかりますから、ミスを訂正する(元いた場所に戻る)だけでさらに30分ロス。そうすると本当の鎌倉に滞在できる時間なんてほとんど残らないことになります。
思い込みはかくも恐ろしい。
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