リコシェ。リコリス・リコイルではなくリコシェ。こいつはサルタートになったりリコッチェになったり、様々に名前を変えて登場することでヴァイオリン奏者を混乱させます。同じ弓で弦に空中から振り下ろしてバウンドさせるテクニックのことです。

名前を変えて登場するといえば、私が初めて東京で一人暮らしを始めたときのこと。
当時住んでいた神楽坂から渋谷に行こうとすると、営団地下鉄で神楽坂から九段下まで東西線で160円。九段下から半蔵門線に乗り換えるのでまた切符を買い直してさらに160円。片道320円です。「地下鉄って名前を変えるとまた切符を買うんだな」「まあそうかな」と当時は思っていました。その数カ月後、大阪出身の人に「160円で行けるんやで。いちいち2回切符買わんでええで」と言われて無駄な出費をしたことを知りました。

このように地下鉄といいヴァイオリン奏法といい名前を変えて人を混乱させるというのは古典的な手段のようです。

さてリコシェにはどうやらフランス語で「水切り」という意味もあるようです。YouTubeなどの弾き方解説動画でも「水切りのように弓を弾ませる」といった表現をしています。日本人の講師ばかりでなく、アメリカ人らしき講師もやはり英語で似たような説明をしていました。

リコシェが多用され、かつわかりやすい例ではメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』第1楽章カデンツァの最終部分。あのチャカチャカした部分はリコシェで演奏しなければなりません。

私もベリオの「バレエの情景」を練習していますが、楽譜2ページめにしてリコシェに遭遇。かったるい本のように「そこだけ飛ばそう」なんてことはできませんからなんとかして弾きます。が当然弾けません。私の先生に「なんですかこれは」と質問すると、やはり水切りが~と世界共通の説明を聞かされました。

こりゃわからんわ、と思いながら専門書を調べると・・・。

これはどういうときに使うか。正直、テクニックを見せびらかしたいときです(笑)。「こんなこともできるんですよ」といった感じで、ちょっと飾りっぽく(ジョーク的に?)使用されます。とりたててやらなくてもいいんだけれど、まあ遊び芸(サーカス芸)の魅せるテクニックといいましょうか。もちろん、リコシェならではの軽快なリズムが発揮されます。

(西谷国登『ヴァイオリン自由自在』より)
そうか、ワイは遊びすらできん不器用な奴なんか・・・。

メンデルスゾーン以外でもリコシェが登場するのがパガニーニの「カプリース」の第9番。以下の動画ですと1:30あたりからリコシェが始まります。




いや無理だろ。普通に考えてこんなのできるわけないだろ。
ヴァイオリンって一つの動作を覚えるのに3ヶ月はかかるみたいなことがよく言われています。
でもそんな理不尽なまでに難しいなら軒並み挫折するだろ(だから初心者は大抵1,2年で色々理由をつけて逃げ出していく)。

楽譜の2ページめでこんな調子だとしたら、あと残り5ページあるこの曲、終わったら一体自分は何歳になっているのか・・・。普通のサラリーマンだとしたら、ヴァイオリンの技術を極めるのは絶望的なまでに不可能(子供がいたりするとなおさら不可能)だと改めて思い知りました。あと何百回水切りのしぐさをしなければならないのか・・・。