私は普段ベートーヴェンとかモーツァルトとか、要するにクラシック音楽を聴いています。この手の音楽は『フィガロの結婚』のようなオペラと『冬の旅』のような歌曲以外は歌詞がありません。ピアノとかヴァイオリンとか、オーケストラとか、要するに器楽のみで音楽が成り立っているので、作曲家は自分が伝えたいことを言葉に頼らず、純粋に音だけで表現しなければなりません。

ベートーヴェンの『交響曲第5番 ハ短調 運命』なんてその典型ですよね。重苦しい運命の主題が響き渡り、その後の様々な葛藤を経て歓喜へ至る。この作品が産み落とされたのは19世紀初頭。これ以前にはここまでドラマチックな音楽というのはありませんでしたし、これ以後「芸術とはいかにあるべきか」という命題に対して決定的な影響を与えました。

しかし同時に私は渡辺麻友さんをたとえ引退後であっても今なおいたく応援しているため、AKBとかのCDを買い求めることがあります。
J-POPの曲を聴いていて困るのが、曲だけだと歌詞を正確に聞き取れないこと。日本語なのに聞き取れません。以前とある声優のユニットの「華麗ワンターン」という曲をコンサート会場で聞いた時、題名からしてまず「カレー ワンタン」と聞こえました。あそうか、これは『ミスター味っ子』とか『将太の寿司』みたいなグルメ漫画の主題歌なんだ、だからカレーとかワンタン麺が出てくるんだと誤解しました。

全然違っていましたね。ワンターンとはゲームのターンのことを言っていました(と後で知りました)。当然ながらコンサート会場では歌詞を耳で拾うことができませんでした。劇団四季などのミュージカルでは歌詞は普通に聞こえるのに、J-POPだと聞こえないのは発声トレーニング量とか、曲に文字数を盛り込みすぎているとか、そもそも日常生活からかけ離れた語彙を持ち込んだりしているからでしょう。

というわけで自宅でCDを聴くときにも歌詞カードは必須。なのですが文字が小さい・・・。私はまだ老眼でこそないものの、明らかに文字が小さいです。ひどい歌詞カードになると、水色の背景色にブルーの文字で書かれていたりと、夏空を意識しているようなのですが工夫が余計。まず文字は読めてこそでしょう。

一体どれくらい小さいのか? ということである実験をしてみました。実験というか、たんなる比較ですね。


kashi

手元にある歌詞カードと文庫本の文字の大きさを比較してみました。どう見ても文庫本の活字の方が圧倒的に大きいです。文庫本のルビと歌詞カードの文字の大きさがほぼ同じくらい。そりゃ小さいと感じますわ・・・。

でもどうして歌詞カードの文字はこんなに小さいんでしょうね? 文字がいっぱいだから小さくしないと入らない? そんな旧文庫版の『指輪物語』みたいなことはないでしょう。(90年代初頭まで流通していた文庫版『指輪物語』は、聖書みたいに字が小さかった。)現に、歌詞カードを見ると余白がずいぶんとあります。ということはそこまで文字を小さくしなくても十分収まるということです。

アーティストの世界観を歌詞カードで表現している? いやいや、だったらどのCDもここまで文字が小さいということはないでしょう。文字がくっきりしているアーティストだっているはずなのに、私はそういうのを見たことがありません。どこも小さくて当たり前。

・・・と、ここまで書いてみて思い当たったのが、要するに「それが業界標準として成り立ってしまっているから」ではないでしょうか。当たり前すぎるから、逆に誰も意識しなくなり、なおさらそれが拡大再生産されてしまう。うーん、だとすると改善されることはなさそうです。