遠藤周作の代表作といえば『沈黙』であることは間違いないでしょう。この後も『侍』や晩年の大作『深い河』などが出版されていますが、『沈黙』がなければその後の作品群もなかったはずであり、日本人にとってのキリスト教とはなにか、それは西洋のキリスト教とどう違っているのか、といった問題意識や、「転んだ」宣教師は弱かったのかといった「問い」など、様々な角度から読むことができます。今年(2023年)は遠藤周作の生誕100年にあたりますが、今なお重版が続いており戦後日本文学の金字塔といっても過言ではありません。私の手元にある新潮文庫の『沈黙』は昭和57年の版です。最初から古本だったので紙が日焼けして劣化しています。これを機に買い直したほうがいいですね。

この『沈黙』は、このように結ばれています。
私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。(中略)そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。
当初、この作品は『日向の匂い』という題名でしたが、編集部からの説得を受けて『沈黙』に改題。併せて、小説のメッセージ性をはっきりさせるために完成直前にこのパラグラフが付け加えられました。

が、その後に漢文調の長々とした文章が続き、「なんじゃこりゃ」となること必須。遠藤周作自身も「これ、誰も読んでくれないだよ」と嘆いていたとか。そりゃそうでしょうね。古文漢文が得意な人でもこれを読み通すのは精神力が求められます。

実はこれは『続々群書類従』から遠藤周作が書き写したもので、一部を小説の中身に合致するように書き換えています。史実をしれっとフィクションに織り交ぜることでリアリティが増すわけですね。塩野七生も似たようなことをやっています。

『群書類従』とは、埼玉県HPによると、
塙保己一は一生の間に何十種類もの書物を編集し、出版しました。
有名なのは「群書類従」です。
これは、全国各地の貴重な書物を集め、25の部に分類した大文献集です。
不自由な身にもかかわらず、書物のためならば遠くまで自分で出かけ、借りては弟子に写させたのです。
「群書類従」666冊が完成したのは、74歳のときのことでした。
34歳のとき思いたってから41年もの間、研究・編集・出版と休む間なく取り組み、ついに完成したのです。
驚いたことに、この大きな仕事が終わると間もなく、次の「続群書類従」の準備に取りかかりました。
しかし、生前には完成しませんでした。
亡くなってから90年目に、明治時代の末についに完成しました。
「群書類従」はじめ、保己一が残した数千巻にのぼる書物は、今なお学問をする人にとってなくてはならないものになっています。
(塙保己一(はなわ ほきいち)は江戸時代後期に活躍した全盲の学者です。)

このなかの「査妖余録」を抜粋して一部を書き換えたとか。じっと読んでいくと、ロドリゴ=岡田三右衛門が「書物仕り」とあり、つまり何らかの書き物を書いたと読めます。江戸の切支丹屋敷に移送されたロドリゴはそこでもう一度信仰心を取り戻し、それが発覚するたびに「私はキリスト教を棄てました、云々」式の反省文のようなものを書いていたようなのです。

また、吉次郎(キチジロー)は「切支丹」の「本尊」が見つかってどうのこうの、ということが書かれています。つまりキチジローもやはり一度は道を踏み外したかと思いきや、後でもう一度キリスト教のもとへ戻ってきていたのでした。

私はこのことを新潮文庫の『文豪ナビ 遠藤周作』を読んで初めて知りました。遠藤周作なんて私は子供の頃から読んでいるだけに、今さらナビなんかしてもらわなくてもと思っていましたが、自分が知らないことが色々盛り込まれていて大変勉強になりました。