谷崎潤一郎の名作短編「刺青」は絢爛たる文章を散りばめられ、どこをとっても陶然となるような美しい日本語が連なっています。夏目漱石の文章とも、森鴎外のそれとも違っている独特の文章そして世界観。芸術というのは「なんだかあっちの作品と似ているね」と思われてしまったら終わりですから、独自性があるというのは何よりの称賛です。

日はうららかに川面を射て、八畳の座敷は燃えるように照った。水面から反射する光線が、無心に眠る娘の顔や、障子の紙に金色の波紋を描いてふるえて居た。部屋の仕切りを閉(た)て切って刺青の道具を手にした清吉は、暫くは唯恍惚(うっとり)としてすわって居るばかりであった。彼は今始めて女の妙相をしみじみ味わう事が出来た。その動かぬ顔に相対して、十年百年この一室に静坐するとも、なお飽くことを知るまいと思われた。古のメムフィスの民が、荘厳なる埃及(エジプト)の天地を、ピラミッドとスフィンクスとで飾ったように、清吉は清浄な人間の皮膚を、自分の恋で彩ろうとするのであった。

こんな調子でお話は続いていきます。名言・・・、というか名文としか言いようがないですね。でもこの場面、主人公の清吉がオランダの医者からもらった麻酔で少女を眠らせてしまったあとの描写なんですけどね・・・。清吉というのがイカれた人物で、いまで言う高校生くらいの少女を「こいつこそオレの腕で刺青を入れる絶世の美女だ!」と決め込んで薬で眠らせ、このあと刺青を本当に彫りはじめてしまうのです。

いやこりゃさすがにまずいだろ。乃木坂のメンバーを薬で眠らせて拉致したらその時点で頭がおかしいだろ。そのあと同意も何もなく刺青なんて彫ったら完全に犯罪者だろ。現代日本の価値観で江戸時代を裁くのは無意味とはいえ、谷崎潤一郎もこれがインモラルな行為だとわかってこんなお話を作ったに違いありません。

さて清吉が全身全霊をあげて彫った刺青が完成すると、
「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前に優る女は居ない。お前はもう今迄のような臆病な心は持って居ないのだ。男という男は、皆なお前の肥料(こやし)になるのだ。・・・・・・」

この少女は、(いつの間にか娘から女という呼称に変わって)刺青を彫られたことで人柄がガラリと変わったのか、刺青の元となる絵が描かれた巻物を持って帰りなさいと告げる清吉に対して「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」と、勝ち誇ったような声を出します。

ここでお話は終わっています。新潮文庫ですとせいぜい12ページ。こんな短い紙幅に内容のぎっしりと詰まった物語を詰め込むのは相当の才能でしょう。

しかしこれはあくまでもフィクション。小説だからこの物語の時間はここでおしまい。その後この女がどうなったのかわかりません。「この文章って、構想力って、すごいなあ」というくらいに感想をとどめておくべきでしょう。高校生あたりで真に受けてしまうと自分で家庭科で使った針とかで自分の肌をチクチクとやり始めますが、やめておきましょう。

現実には、モーニング娘。とかAKBとか乃木坂のメンバーが卒業していったあとどうなったのかを追跡してみるとよいでしょう。アイドルのときが人生のピークで、そのあと離婚したりビジネスがうまく行かなかったりと、順風満帆とはいえない事例が多くあります。結局ちやほやされたのは「若かったから」であり、自分の若さが失われるころに別の若いアイドルが出てきて、ファンはそっちに流れてしまう。刺青を彫られた少女もそのあとしばらくは妖艶な遊女として名を馳せたでしょうけれど、10年経過してからは・・・、まあ言うまでもないでしょう。「刺青」が美しい作品なのは、わずか12ページで物語が完結したからであって、現実はもっと残酷なのです。繰り返しますが、フィクションはあくまでもフィクションとして楽しむのが大人というものでしょう。