シャルル・ミュンシュ。若い日の小澤征爾さんを指導したことでも知られているのはもちろんのこと、フランスの大指揮者でありシュバイツァーとは親戚関係にあります。彼の出身である独仏の国境地帯アルザス地方はフランス領になったりドイツ領になったりということで、ミュンシュ自身もベートーヴェンやブラームス、メンデルスゾーンにシューベルトといったドイツ音楽そしてベルリオーズやサン・サーンスといったフランス音楽もまた得意としていました。

彼のキャリアのピークはやはり戦後のボストン交響楽団時代であり、1949年からの13年間、RCAに膨大な録音を残しました。
しかしこの録音は妙にオンマイクとでも言うのか、音がやけに全面にせせり出てくるような特徴があります。ミュンシュは大音量でボストン交響楽団をドライブするのが好きだったのでしょうか、その個性がなおさら強調されてしまっています。CDの解説書には「彼の指揮のもと、ボストン交響楽団は圧倒的な色彩感と立体感を獲得した」などと表現されているのは、つまりそういうことでしょう。たしかに同じ時代のカラヤンともクレンペラーともセルとも違う、独特の音がしているので、一度特徴を把握してしまうと「あ、ミュンシュだ」とすぐにわかるでしょう。

その彼はボストン交響楽団を離任すると、パリ管弦楽団が新設されるまでの数年間ヨーロッパの主要オーケストラに客演するという、聴衆にしてみればなんとも贅沢な時期がありました。
私の手元にある、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団(1967年)とのベートーヴェン『交響曲第6番ヘ長調 田園』もまたそういう一コマを収めたもの。

ボストン交響楽団と録音した『田園』がおよそ37分であるのに対し、こちらは42分を費やして演奏されています。フレーズの終わりを短めに切り上げる特徴はそのままながら、翌年のツアー中に心臓発作で亡くなるその1年前の演奏ということもあってかテンポが遅くなり、だからといって退屈というのでもなく、深沈とした雰囲気や寂しさすら湛えています。

ミュンシュのボストン交響楽団時代のベートーヴェンといえば快速で知られ、特に『第九』はリリース当時、「世界最速の」という枕詞で宣伝されていました。機械的だという批判もたしかにわかります。その代わりに健康的ともいえる躍動感にあふれており、『第九』の一つの可能性を究めたものと考えられます。

このロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団との『田園』はその躍動感はそのままに、しかし第2楽章のそこはかとなく漂う哀愁といい、第4楽章の壮麗に鳴り響く雷鳴の人間らしい音の連なり、この嵐を乗り越えて訪れる第5楽章の牧人の歌の心のこもりきった様子といい、「これがあのミュンシュか」と思うこと間違いなし。もしこれがロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団ではなくロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団だったらなおさら豊かな音がしていただろうとないものねだりをするのは余計な想像でしょう。あとはもうちょっと残響も捉えていてくれればよかったのですが・・・。

ではミュンシュのこの録音が、『田園』の名盤として知られるベームやワルターに比肩しうるかというと「?」ではあるものの、19世紀生まれの巨匠が、あるときこういう演奏をした、ほんの十数年前の彼とはずいぶんと違った姿だった、ということを示す意味では、貴重なCDです。
中古CD店では、1枚800円くらいで販売されているはずです。私も新宿の紀伊國屋書店の隣のディスクユニオンでそれくらいの価格で購入しました。ミュンシュが好きで、主要な録音はあらかた制覇したという方は探してみる価値はあるでしょう。