クラシックの曲を演奏するときは、楽譜に書いてあることがただ再現できればいいというものではなく、その曲の成立背景とかまで調べておくのは鉄則とされています。

私が読んだ本に、音大生がヨーロッパに留学し、レッスンを受けようと思って有名教授のところに通ったところ、暗譜できてないことを理由に怒られた、という記述がありました。
その次のレッスンは、暗譜できるまで弾き込んだことはもとより、念のために先回りしてその曲の成り立ちとか作曲家がこの曲に込めた思いとかを調べておいたところ、案の定先生からそういうことを質問されたとか。下調べしなかったら破門されてたんじゃないでしょうか。

今では『運命』とか『田園』とか、いろいろな曲のことがウィキペディアに書かれているのでとても便利な時代になりました(間違っていることもあるが)。
しかし、参照した資料というのが一つでは心もとないですね。できれば複数の文献を調べたほうがいいでしょう。私はあるとき、ブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ第一番』を初めて聞いたときから20年近く経過して、ようやく作品成立の背景を知って愕然となったことがあるのです。


ブラームス『ヴァイオリン・ソナタ第一番』誕生秘話

CDの解説書には大抵しょうもないことしか書いてません。
1879年夏に南オーストリアのウェルター湖畔の町ペルチャッハで完成させた。ここは明るくのどかな町で、ブラームスは湖の周りを歩くのを楽しみにしていた、云々。

新潮文庫『カラー版作曲家の生涯 ブラームス』(三宅幸夫)には次のように書かれています。
この作品は自作の歌曲『雨の歌』(作品59-3)に主題を借りているため、『<雨の歌>ソナタ』とも呼ばれているが、友人ビルロートはこの曲を「あまりにも繊細で、あまりにも真実で、あまりにも暖かく、一般の聴衆にとってはあまりにも心がこもり過ぎている」と評した。たしかに内向的なブラームスの室内楽の特徴をすべて含んでいると言えるかもしれない。
大体こんなとこでしょう。第2楽章には葬送行進曲のリズムが採用されている、なんてことも解説書によっては盛り込まれているかもしれません。そんなことを書かれてもああそうかな、で終わってしまいますね。でもそれが落とし穴でした。

ご存知のとおり、ブラームスは恩人シューマンの奥さんクララに生涯憧れていました。そのクララにはフェリックスという息子がおり、ヴァイオリンをよく弾いていました。フェリックスという名前を付けたのはブラームス自身で、彼もまたフェリックスのことをわが息子のように可愛がっていたそうです。

ところがこのヴァイオリン・ソナタの作曲中にフェリックスが結核で亡くなってしまいます。葬送行進曲というのは・・・、つまりそういうことなのでした。そのおよそ半年後、この作品が完成します。第3楽章は前述のとおり歌曲「雨の歌」を元にしています。「雨よ降れ、もう一度呼び覚ましてくれ、子どもの頃のあの夢を」。第2楽章で闘病中のフェリックスに寄せたメロディ、そして葬送行進曲で追悼の念を表し、最終楽章ではかつてを回顧する歌曲に基づく懐かしさの漂うもの。そこにもう一度先程のメロディが第3楽章の伴奏と重なり合って現れてくるのでした。どういう気持ちがここに込められているか、もう書くまでもないでしょう。ただの綺麗な曲ではなかったのです。

私がこのことを初めて知ったのは、この動画を見たときのことでした。



こちらの説明用の字幕で、フェリックスとクララ、そしてブラームスの関係が紹介され、これを読んで私は驚きました。なんでこんな大切なこと、どの解説書にも書いてなかったんだろう・・・。こういうのを知って演奏するのと、何も知らないで演奏するのでは気持ちに雲泥の差が現れます。作品を人前で演奏するからには、複数の参考文献を当たって情報収集したほうがいいと痛感しました。