2023年3月26日。この3月26日という日付は渡辺麻友さんのファンにとっては今なお(そしてこれからも)特別な意味を持ちます。

2019年の朝ドラ『なつぞら』以後、急速にTV出演などが少なくなり、同年秋には突如としてファンクラブ解散がアナウンスされました。一体どうして・・・、と私はその告知を聞いた瞬間ヒヤッとしました。いやそんなはずはあるまい、おそらく長編映画の出演者として抜擢されたのだろう、でも情報解禁前だから何も言えないのだろうと勝手に想像していました。銀幕で彼女を見る日も近いだろう、そう考えていましたがその思いは叶うことなく、2020年6月になり渡辺麻友さんの芸能界引退が発表されました。健康上の理由。ニュース記事にはそのように説明されていました。

ちょうどその頃から新型コロナウイルス感染症拡大にともなって緊急事態宣言が出されるなど、社会には暗いムードが漂い(しかし、果たしてそこまで経済・教育・文化等様々な領域に多大な負担をかけねばならないほどの恐ろしい病だったのでしょうか)、人との交流が抑制される中、アイドルの活動もやはり制限され、AKBの代名詞でもあった握手会も2020年以後、現在に至るまでかつてのような姿を取り戻すことができていません。

感染症対策というのは手短に言ってしまえば「人と会うな」ということであり、人間というものは(このブログの管理人=私が言うのも変ですが)人とのつながりがあってこそ初めて社会の一員たりうるのであって、個別に切り離された人というのは生物としてのヒトであっても人間を人間たらしめている要件を欠いています。その観点から、「コロナ禍」と言われる期間の間にメンタルを病む人が急増したのはしごく当然のことであり、「命がある」ということと「自分の人生を人間として生きる」ことは似ているようであって全く異なる性質のものだということを痛感しました。

つまるところ人とは他者とのつながりを通じて生きる喜びや自分がここにいる意味を感じるものであり、だからこそ私たちアイドルファンは渡辺麻友さんであれ、柏木由紀さんであれ、彼女たちの活躍を実感し、またたとえ10秒というわずかな時間であっても自分の声を直接届けるために(メチャクチャ遠い)幕張メッセまで通っていたのでしょう。

今でも鮮明に思い出すことができるのは、さいたまスーパーアリーナでの渡辺麻友さんの卒業コンサートの光景です。冒頭の「初日」で、いつも完璧なはずの彼女が声を詰まらせました。かつてはアイドルサイボーグと呼ばれた彼女。ロボットには感情はないはずでした。いえ、彼女も人間である以上、当然心があるはずですし、あの時の視界が青一色に染まった幻想的な光景を目の当たりにするまでの道のりの険しさとファンのあたたかさを実感したからこその涙であったことは想像に難くありません。渡辺麻友さんは私たちの心の支えであった一方、彼女もまた私たちに支えられていたのです。

彼女が芸能界を去り、私たちがその姿を見ることがなくなって3年が経過しようとしています。
この3年間というのは、感染症対策の名目で人の交流が(時にはそれが民主的な手続によって!)遮られるなか、私にとっては「果たして人間にとって生きるとは何だろうか。何がヒトを人たらしめているのだろうか」という問いと向き合う時間でもあり、その中で折に触れて思い返すのが渡辺麻友さんの舞台上での姿であり、かつてのAKBを始めとするアイドル活動の現場でありました。

こうした私の考えは始まりと終わりがなく、しかも暗い雰囲気だと言ってしまえばそれまでですが、渡辺麻友さんとの思い出は今なお、私にとっての「基準地点」であり、示唆に富むものであります。
ここに、渡辺麻友さんの29歳の誕生日を心よりお祝い申し上げます。