Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』第22巻では、ロイヤル・バレエ・スクールに留学中の奏がサマー・パフォーマンスで「パエトーン」を踊る場面があります。尊敬するニコルズ先生が生み出した作品でケレス役に抜擢された彼女は、仲間たちからのエネルギーを感じつつ、自分でも納得の演技を舞台で繰り広げます。

ところがニコルズ先生は自分が想像していたケレス像とは違う出来栄えであったことに衝撃を受けています。

強い あれじゃ強すぎるよ! あなたは神だけど苦しめられて救いを求めてる 
確かに動けていたけれど そうじゃなくてもっと
地面に這いつくばってのたうって苦しんでほしい
もしそういうふうに演じてほしいのであれば練習の段階で相手が理解できるようにわかりやすく伝えればよいものを、それができなかったのか、伝わりきらなかったのか・・・。とにかくニコルズ先生が望んでいたものとは違うものが出てきてしまったようです。

その後、奏は足底腱膜炎と医師に診断され、二度目の「パエトーン」では代役エヴリンがケレスを演じることに。観客のひとりは奏とエヴリンの違いを見抜いていました。
エヴリン・フォックス カナデ・アリヤの代役だけど
ホワイト・ロッジで観たアリヤのケレスとは印象が まるで違う
例えるなら 静と動

ニコルズ先生もエヴリンの解釈には満足したらしいコマが描かれており、奏自身も「ニコルズ先生が私を降ろしたのはたぶん足のせいじゃなくて」と衝撃を受けています。気の合う仲間同士でも、やはり「あの役を自分が獲得するか、そうでないか」は非常にセンシティブな問題のようです。


自分が輝くことと、人間関係と

私の手元には『エトワール』というDVDがあります。これは300年以上の歴史をもつバレエの殿堂、パリ・オペラ座の舞台裏に密着取材し、ひと握りの選ばれしダンサーたちが日々過酷な生存競争を繰り広げる世界の実像に光を当てたドラマです。
この中で、あるダンサーが「あの役に誰が抜擢された、されなかったということがあるため、バレエ団のなかで本当の人間関係を作ることは難しい」といったような話を口にしていました。バレエというと妖精とか王子とかが登場するファンタジックなものだと思われがちですが、実際には肉体的な鍛錬はもちろんのこと、精神的にも大変なプレッシャーを感じながらもさらに上を目指さなければ居場所がなくなってしまう競争社会だということが伺われます。それでもあるエトワールは「あれは真実じゃない、私たちの現実ははるかに過酷だ」とこのDVDを評したとか。

22巻の終わりには評論家による「パエトーン」のレビューを読んだエヴリンが、お客さんの反応と芸術的到達度は必ずしも直結するものではないと知って安堵する様子が描かれています。他方でそのレビューをまだ知らない奏はひたすら落ち込んでいます。
こうした光景はプロを目指す過程ではおそらく当たり前のごとく発生するものでしょうし、その意味で奏もエヴリンもそのルートに乗りつつあることを示唆するものではないでしょうか。

『絢爛たるグランドセーヌ』第23巻にも引き続き注目していきたいと思います。