フェイクニュースという言葉をよく耳にします。わかりやすい事例が、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴ってトイレットペーパーが不足するとかいうやつ。

これは明らかにデマ、嘘だと常識的に判断できます。でも厄介なのが、「自分も含めてみんな嘘だとわかっているけど、それに引っかかるバカタレがいて本当に品薄になると嫌だから、一応自分もトイレットペーパーを買っておくか」と思う人が一定数いることです。こうなるとデマをデマと知りつつトイレットペーパーを買い求める人が殺到して、リアルに品薄になってしまうのです。

他にも「深く息を吸って10秒我慢できれば、新型コロナウイルスに感染していない」「新型コロナウイルス感染症は26度のお湯を飲むと予防できる」といった話を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

一体だれがこのニュースの発信源なのかは不明ですが、本当のニュースよりもこういうフェイクニュースのほうが拡散スピードが早いという特徴があります。
米国の研究では、フェイクニュースの方が普通のニュースよりも拡散スピードが速く、その範囲も広いということが明らかになっています。
 10万件以上のツイッターの投稿データを分析した当該研究では、真実が1500名に到達するには、フェイクニュースよりも6倍の時間がかかっていました。また、フェイクニュースの方が、真実よりも70%も多く拡散されやすいことも明らかになりました。
 なぜフェイクニュースの方が広く拡散されてしまうのでしょうか。その理由には、次の二つがあります。
 第一に、目新しいためです。人は目新しいものが好きで、目新しいニュースの方が拡散されやすい傾向にあることが分かっています。そして、フェイクニュースと真実について分析したところ、目新しさに関するどんな指標と照らし合わせても、フェイクニュースが真実を上回っていたのです。
 これは考えてみれば当然の話です。真実というのは、地味で地に足のついたものです。一方で、フェイクニュースは言ってしまえば創作なので、いくらでも目新しい内容にできます。あまりに奇抜であればうそと見抜かれてしまいますが、真実味を混ぜたうえで、目新しくセンセーショナルにすることはたやすいというわけです。

(https://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/2201_02/wadai.htmlより)
たしかにフェイクニュースはセンセーショナルなもののほうが多く、
「熊本地震 動物園からライオン脱走か」
というニュースは
「人面魚 重体脱す」
「マイケル顔面崩壊」
「人と猿のハーフ発見。間寛平より人間らしい顔立ち」
「米軍圧勝! UFO無条件降伏」
に引けを取らないパンチ力があるように思えます。何しろライオンが脱走なんて、熊本県民にしてみれば最悪ですから。

このフェイクニュース、日本語では「デマ」と言います。
じつはこの「デマ」という言葉は、ギリシャ語の「デマゴーゴス」を略したもの。デマゴーゴスという言葉の本来の意味は、デーモスを説得する人。つまり民衆を指導する人のことを言っています。その点、世界史の授業で必ず出てくるペリクレスとかテミストクレスは傑出したデマゴーゴスだと言ってよいでしょう。

ところが、戦争に敗北したり感染症が流行して人口が激減したりして社会不安が広がると、いつの時代もそのような心理につけこむデマゴーゴスが現れます。やはり古代ギリシアでもそれは同じで、大衆迎合主義に陥ってしまったり、自分の利益に誘導しようとしたりするものが多数出現し、結果的にデマゴーゴスは都合のいいことばかりをペラペラと喋るものだ、という意味合いで用いられるようになってきました。

民主主義の発祥とされる、この古代ギリシアにはやはりデモクラシーという言葉の語源が見つかっており、それは「デモクラティア(demokratia)」だとか。民衆を意味する「デモス(demos)」と、権力を意味する「クラティア(kratia)」を結合した言葉が「デモクラシー」。

しかしデマという言葉とデモクラシーという言葉がどちらも民衆=デモスに起源を求めることができるというのはなんとも皮肉なお話です。
フェイクニュースに踊らされた結果、選挙結果が変わってしまったり、社会の分断が加速してしまったりというのは21世紀の専売特許ではなく、どうやら古代ギリシアでも似たようなことがあったに違いありません。人類って、テクノロジーが進歩しても「頭の中身」そのものはあまり変わっていないようですね。いやはや・・・。

参考書籍: