往年のヴァイオリニスト、ミッシャ・エルマン。今ではその名前が挙がることも少なくなりました。大体同じ時代を生きたハイフェッツと比べるとその知名度の違いは歴然としています。21世紀になっても「尊敬しているヴァイオリニストはハイフェッツ」と答えるヴァイオリニストの多いこと多いこと。

「スターンの指導を受けて、それ以来虜になりました」「メニューイン先生の真摯な教え方が忘れられません」「江藤俊哉先生の厳しさといったら、今も夢に出るくらいです」。こういうインタビューはよく見かけます。ちょっと変わり種で「ギトリスの音の出し方が個性的で、勝手に弟子入りしました」みたいなものをたまに読む、といった程度でしょうか。

その一方、「ミッシャ・エルマンの演奏が好きでレコードをすべて確認しました」と言っているヴァイオリニストは見たことがありません。古すぎるのでしょうか。何しろ鈴木鎮一が蓄音機でミッシャ・エルマンの弾くシューベルトの「アヴェ・マリア」に感動を受け、これをきっかけに本格的なヴァイオリンの練習を始めたなんていうエピソードが残っているくらいですから。でもこれって第一次世界大戦のさらに昔のお話ではないでしょうか。第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦です。

最近のヴァイオリニストがエルマンについて何も触れないのはある意味正しいです。何しろ彼の演奏スタイルは現代のそれとかけ離れていますから・・・。

随所に顔を出すポルタメント、崩した表情、バロック音楽がなんだかロマン派音楽みたいに響く、などなど「最近ではこういう演奏は流行らないよね」「こんなふうに弾いたらたぶんコンクールでは瞬殺だよね」といった、いわゆる「やってはいけない」をことごとくやり尽くしています。だからといって、芸術として成り立っていないかというと全然そんなことはなく、この昔懐かしい味わいをこそ私は愛でたいと思うのです。




彼は1960年代まで生きましたのでステレオ録音もわずかながら残っています。晩年は技巧が衰えていたと伝えられていますから、彼のベストではないにせよ、彼らしい節回しは十分に堪能することができます。たとえこのスタイルが流行らないにせよ、そのまま忘却の彼方に消え去ってよい記録だとは思えません。

面白いのが、あのショルティとベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』を録音していること。あの鋭角的な指揮姿のショルティ、『ニーベルングの指環』で明らかなように明快なサウンドを好んだあのショルティがです。音楽的にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団といつも対立し、「空港へ向かう道路が一番落ち着く」とショルティは述懐していました。そりゃグイグイ前進する音をよしとしていたわけですからそりゃ対立しますわ。



この録音は1955年。お互い「なんかこいつ違うな。やりづらいな」と思いながらのセッションだったのではないでしょうか。それにしてもどうしてこんな水と油みたいな組み合わせを思いついたのでしょうか。企画を立てたのは一体誰でしょう。当時はまだ19世紀生まれでエルマンの音楽にもっと共感できる指揮者がいたはずなのに、どうして・・・。

だなんて、まさか録音から70年近く経過して日本人のブログで話題にされてしまうなんてプロデューサー氏も想像しなかったでしょう。

エルマンの録音はたまにBOXセットで発売されることもありますが、姿を消すのも早いです(私は運良くBOXセットを入手できました)。バラ売りならクライスラーの小品集あたりが彼の芸風を把握するうえで最短ルートでしょう。