ヴァイオリンを弾く人が一度は悩む問題である「ヴァイオリンに肩当ては必要なのか、いらないのか?」。諸説あり定かではありません。

いらないよ、という先生、だからお前も肩当てなんてやめちまえ、という先生。
いや必要だよ、それがないと安定しないだろ、Kunの安いやつでいいからとにかく買ってこいよ、という先生。

人によって言うことが違うので混乱します。しかもいる・いらない、どちらにせよ、その人がうまいか下手かにあまり左右されないのでなおさら混乱してしまうのです。

いったいどちらが正しいのか・・・?


ヴァイオリニストの例を見てみよう

とりあえず、ヴァイオリニストの例を探ってみましょう。
古今東西様々なヴァイオリニストがいる中で、最も有名なのがハイフェッツ。好きとか嫌いとか人によって好みは様々だと思いますが、そのテクニックの正確さといい、音一つを聴いただけで「これぞハイフェッツ」とすぐに分かってしまう個性の強烈さといい、パガニーニやヨアヒムのような時代のヴァイオリニストを除けば、録音や映像で確認するかぎり、とにかく彼が総合点でNo.1でしょう。

その彼は肩当て不要派で、弟子にもハンカチ1枚すらヴァイオリンと肩の間に置くことを認めていませんでした。ちなみに駒を高くすることで弦の張力をアップさせていたようです。それがあの独特のまっすぐ伸びる硬質な音を生み出していたのでしょう。

あっそうなんだ、やっぱり肩当てなんてなくていいんだ! と思うのは早計です。

ハイフェッツが肩当てを使っていなかったからといって自分も肩当ては必要ない、と思うのは「キャプテン翼」を読んだからといって自分もドライブシュートをキメようとしたり、嫌がる弟を強引に連れ出してスカイラブハリケーンの練習をしたり、海に向かってタイガーショットを身につけようとしてボールを紛失したり、しまいには「今のはなんちゃらハリケーンだ」と自分のシュートに名前をつけようとしたり・・・つまり愚行といってもよいでしょう。そんな行動、すぐに「あいつのマネだ」と見破られてしまいます。しかも他人が「気づいた」からといってその人はあなたにそれを教えてくれるわけでもないので、あなたは「自分がかっこいいと思っているが他人から陰で笑いものにされている」状態をずっと続けることになります。知らぬが仏。

この他、画像や動画を検索して調べてみたところ、たとえばシゲティ、フランチェスカッティ、コーガンなどが肩当てを使っていませんでした。

一方で肩当てを使っているのは、これも画像や動画でざっと見てみるとアッカルド、諏訪内晶子、ヒラリー・ハーン、樫本大進など。

ただし「その時はたまたまそうだった」のかもしれず、たとえば「バロックや古典を弾くときは肩当ては使わないけれど、ロマン派以降の作品には肩当てを使う」といったような可能性もありえます。

このように、調べれば調べるほど「戦艦大和と戦艦武蔵はどっちが強いのか」「吉野家と松屋はどっちがおいしいのか」といった迷宮に入り込んでしまうだけであり、もう「自分が弾きやすければそれでOK」な世界だとしか言いようがありません。

しかもそんなことより、ニ短調だろうがヘ長調だろうが変イ長調だろうが、どんな音階でも必ず弾けるようになっているだけの基礎技術の充実のほうがよほど充実ではないでしょうか。そもそも肩当ては「道具」であって、音を出すのは自分なのですから・・・。


注:本記事作成にあたり音楽之友社『直伝! 素顔の巨匠たち』を参考にしました。