バレエというと『白鳥の湖』とか『くるみ割り人形』といった、その作品に対してその音楽というイメージが持たれがちです。

あの物哀しいメロディが聞こえてくると、「あ、『白鳥の湖』だね」とか、ワルツを耳にして「花のワルツだね」とか、有名なバレエ作品の場合メロディと作品がかなり結びついています。

他方で、ショパンの作品を管弦楽曲に編曲して伴奏音楽に使っている『レ・シルフィード』なんていう作品もあります。別名を『ショピニアーナ』。この作品にとくにあらすじはなく、バレエの優雅さをこれでもかと盛り込んだもの。

この他にもベートーヴェンの『交響曲第九番』とかブルッフの『ヴァイオリン協奏曲第一番』がバレエ音楽に用いられる場合もあります。

・・・ということを頭に入れたうえでフレデリック・アシュトンの傑作「ラプソディ」を見ると・・・、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」が用いられています。



この動画はおよそ30分にわたって繰り広げられる踊りの最後の場面。切ないメロディに乗って、華麗な演技が私たちを魅了します。

・・・ん、でも変だぞ。原曲の「パガニーニの主題による狂詩曲」は主題が演奏されてそのあとに24の変奏が続きます。一番有名なメロディはこの動画でも使われている第18変奏。なんで24の変奏の18番目が一番最後なの? あとの6つの変奏はどこへ??


楽譜がなかったりするバレエ音楽

どうやらバレエ音楽というのは、一度完成してもその後諸々の事情で改変されることがままあるらしく、『海賊』ではアダンが完成させたということになっていますがドリーブが曲を追加し、そこへさらにミンクスがまた付け加えて・・・、ということになっており、じゃあ結局だれの作品なんだという状態です。

さらには、「楽譜がない」とか「ダンサーによって微妙に曲が違う」ということがけっこうあるようなのです。
もう一度『海賊』の例を出すならフォンテーンが踊ったものとズンボーが踊ったものとサムツォーバが踊ったものでは内容が異なっており、しかも日本の場合そういう楽譜の異なった版を保存する機関がないため、「〇〇図書館に行けばあのときの楽譜が借りられる」といった状況ではなく、仕方ないので、その時の公演の関係者から人脈を頼ってなんとかしている模様です。

ばかりか、そもそも「印刷されて公開されている・出版されている」状態の楽譜すらないことすらあり、つまりは忘れてしまえばそれでおしまいという運命のようなのです。

ということはバレエ「ラプソディ」で演奏されている「パガニーニの主題による狂詩曲」も同じようなものだろうということがなんとなく想像がつきますね。

時代が過ぎ去ってしまえば後は何も残らないというのはなんだか理不尽な感じもします。でも言い方を変えると、バレエとは今を逃せば鑑賞することができない芸術であるとも考えられるでしょう。
もしかしたら「ラプソディ」も2040年ごろには誰も見向きもしなくなっているかも・・・。そう思うと、次にこの作品の本番を見るときが人生最初で最後かもしれないとすら感じられ、一期一会だという感が深くなるではありませんか。


注:本記事作成にあたり「読み切りまんが 福田一雄ものがたり」を参考にさせていただきました。