メンデルスゾーンといえば『ヴァイオリン協奏曲 ホ短調』のほかに『交響曲第3番イ短調 スコットランド』、『交響曲第4番イ長調 イタリア』、『真夏の夜の夢』などで知られています。

彼の歴史的評価といえば、ロマン派の一角をなす作曲家であるとされているものの、やはりベートーヴェンやブラームス、ワーグナーと比べると一段劣る・・・、という扱いになりがちです。たしかに『ニーベルングの指環』のような壮大な世界観があるわけでもなく、交響曲を通じて人類に連帯を呼びかけるわけでもなく、良くも悪くも「うまくまとまっている」のがメンデルスゾーンの特徴です。

もともと豊かな銀行家に生まれ、自宅にいわば「オーケストラがあり、試しに楽譜を鳴らすことができる」も同然な環境で育った彼にしてみれば、若き日のモーツァルトのマンハイム・パリ旅行のような挫折を知らなかったがゆえに、一生を通じてそれなりに綺麗な音楽を作り続けることができた(言い換えると、何かをきっかけに驚くほどの進歩を遂げることがなかった)のです。

それでもいいではありませんか、「それなりに綺麗な音楽を作り続ける」ことがいかに難しいか、自分で試しにギターやピアノで何か曲を作ってみればすぐに分かります。それに、バッハの『マタイ受難曲』蘇演により、忘れられつつあった音楽の父が再評価される機運を生み出しただけでも十分偉人といえるでしょう。

彼の音楽の特徴は、風とか光とか潮騒といった自然が非常にうまく描写されていること。『交響曲第3番イ短調 スコットランド』、『交響曲第4番イ長調 イタリア』など、水彩画の腕も優れていた彼の才能が存分に発揮されています。

『交響曲第3番イ短調 スコットランド』に比べると小ぶりで知名度も落ちますが「フィンガルの洞窟」もやはり爽やかな名品です。


「フィンガルの洞窟」、私はクレンペラーの演奏がおすすめ

ウィキペディアによると、
『フィンガルの洞窟』(フィンガルのどうくつ)作品26は、フェリックス・メンデルスゾーンが1830年に作曲した演奏会用序曲である。原題は『ヘブリディーズ諸島』(ドイツ語: Die Hebriden)であるが、日本語では通称の『フィンガルの洞窟』の方が多く用いられる。ロ短調の序奏なしのソナタ形式で作曲されている。現在に至るまで、オーケストラの標準的なレパートリーとして盛んに演奏されている。
20歳のときにスコットランドを旅したメンデルスゾーンは、ヘブリディーズ諸島にあるフィンガルの洞窟を訪れ、深い感銘を受けています。このときの印象をもとに生み出されたのが「フィンガルの洞窟」です。

人里離れた洞窟の侘しさとともに、渦巻く波や吹き抜けてゆく風をオーケストラの様々な楽器で表現していることは一聴してすぐに分かります。もし私が音楽の先生だったら、授業で題名を伏せて聴かせたうえで「この作品は何を表現しようとしていますか?」と生徒たちに尋ねていたはずです。

私が普段愛聴しているのは、オットー・クレンペラーが1960年にフィルハーモニア管弦楽団とともに録音したもの。もう60年以上昔の演奏になりますが(関係者はたぶん誰も生き残っていないでしょう)、音質はクリアで観賞に不満を感じることはありません。

晩年のクレンペラーは半身不随となったもののそこで指揮者を引退・・・せず、なおも演奏活動を継続します。指揮者は肉体労働者でもありますから体が自由に動かなければ当然音楽もぎこちなくなるはずのところ、不思議なことにその時期に差し掛かってからのほうが音楽にスケール感が加わり、壮大な演奏を行うようになりました。

この「フィンガルの洞窟」もそのような時の録音です。音が軽くなりがちなイギリスの楽団とは思えない重厚さ、これはメンデルスゾーンか? 水彩画が得意なメンデルスゾーンか?? といえばちょっと違うでしょう。本当に水彩画を期待するのであればアバドとかマズアとかのほうがよいでしょう。
でもこの録音は他の指揮者にはない格調の高さがあり、クラシックがクラシックと称されるゆえんに改め気付かされます。

クラシック音楽も時代の流れとは無縁ではいられないもので、2000年ごろから(←個人的経験)、妙に軽くて薄い演奏が流行り始めました。個人的には「糖質ゼロビール」のような存在感の乏しい音楽がどうしても好きになれず、自分が生まれてくるよりもはるか昔の演奏だと知りつつもやはり19世紀生まれの巨匠の録音に何度も聴き入ってしまうのでした。