世の中には複数の出版社から同じ作品が発売されているということがあります。
たとえば、夏目漱石の『こころ』は新潮社、岩波書店、角川書店、集英社など選び放題。普通の人はどれか一冊持っていれば十分でしょう。多少、巻末の注釈とか解説とか、年表といった付録のようなものがあるかないかといった程度の違いであり、編集ミスが発生しないかぎり書かれている言葉はどれも同じはず。
音楽の世界でも似たような話がありますが、ちょっと状況は違います。
ブルックナーの交響曲には原典版、改訂版、ハース版、ノヴァーク版、その他細々としたいろいろな版があることはよく知られています。ブルックナー自身、作品が完成したあとでも過去の作品に手を加えるということが当たり前のように行われていたほか、彼の交響曲がもっと多くの人に知られてほしいと願った弟子たちが親切心から師匠の楽譜に工夫を凝らしたというものもあります。クオリティ的にはその工夫が余計なんですけどね。
ヴァイオリンを弾く人もやはり「この作品はどの出版社の楽譜を買えばいいのか」ということでけっこう悩みます。メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲 ホ短調』ほどの有名曲ともなれば全音楽譜出版社とかベーレンライターとかヘンレとか、いろいろなところから発売されています。単純に「日本語で解説が書かれているからラクやな。日本の出版社にしたるわポチ」とアマゾンで発注してはいけません。習っている先生に助言を求めてから買ったほうがよいでしょう。
たぶん、ベーレンライターにしろとかブライトコフにしろとか、たいていは外国の出版社にしろという流れになると思いますが・・・。
外国の出版社の楽譜の落とし穴
しかし私の場合もそうだったのですが、ベーレンライターなどといった有名出版社の楽譜もこれはこれで問題があるのでした。しかも楽譜を見ながら練習を進めていって初めてそれが発覚するのですからたちが悪い。
たとえば、日本人と欧米人の体格の違いは考慮されていません。当然ですよね。体が大きければ手も大きい。しかし私の手は小さいです。結果、ドイツ人が考えた運指法をそのまま使うことはできないので楽譜に鉛筆でオリジナルの運指を書き込むことになります。でもその運指がベストかというとそうではなくて、レッスンで弾いてみて先生から「こうしろ」と言われてようやくそれなりに形になるのでした。
なお、手が小さいからといってヴァイオリニストになれないというわけではなく、サラサーテも小さい手の持ち主だったと言われています。それゆえ、彼の曲を演奏するうえで横方向に小回りを効かせるような指使いが多く見られます。対照的にパガニーニは手が大きかったようで、だからこそあのように上下方向に音が跳んでいくのだとか(と、ある日の演奏会で川畠成道さんがお話されるのを聞きました)。
どこの出版社でもぶつかる壁
ヘンデルとかタルティーニとかバッハとか、バロックのソナタの楽譜を買ってきたとします。
ピアニストと合わせると、「CDと全然伴奏が違うやんけ( ゚д゚)ポカーン」ということになる場合があります。当時はチェンバロ奏者が通奏低音の数字を見ながら和声をつけて弾くというスタイルでした。しかし現代のピアニストにそういうことはできないので、編集を担当した学者が「ピアノで弾くならこういう伴奏だろう」といった譜面になります。
しかし学者によって考え方がやはり異なっていて、
・伴奏者は背景になっていろ
・伴奏者もそれなりに立派に響け
のようにスタンスがバラバラで、ピアニストが持参した(弾きなれた)楽譜を使うと、結果的に自分の持っている楽譜とかCD音源と違う音が出てきて膝カックン状態になる場合があります。音楽の道はかくも理不尽である。
ちなみに私が好きなグリュミオーのバロックソナタの演奏も、今どきのコンクールの審査基準からすると「こう弾いては勝ち上がれない」ようです。ますます理不尽である。
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