「ハーバード式快便術」「スタンフォード式尻の拭き方」とか、なんでもオッ糞フォードとか便ブリッジとか一流大学の名前を持ち出す自己啓発書が後を絶ちません。

要するに学歴コンプレックスを刺激して、ワイもこれを読めば偏差値が爆上がりしてマッキンゼーに就職できるんやでという期待を持たせようという作戦でしょう。なんつーミエミエな作戦!!

実際にこういうものを読んでも実は自分は賢くなるわけでもなく、仕事がうまくなったり年収がアップしたりするわけでもなく、志望校に合格できるわけでもなく、まあ嘘だと思うならスタンフォードのやり方で1年間尻を拭いてみればわかるでしょう。

さてハーバード大学はどうやら課題がやたらと多いことで知られており、当然ながらたくさんの本に目を通さなければなりません。しかし最先端の学問的成果はたいてい英語で記述されており、日本人にとってはとても高い言語障壁が立ちはだかります。

アメリカ人のハーバード大生でもやっぱり読書課題は辛いだろう? いえ、じつは読んでないらしいのです・・・。


ハーバード式本を読まない読書術

すげー、詐欺じゃんと思ったのはヴァイオリニストであり会社経営者でもある廣津留すみれさんの著作『ハーバード・ジュリアードを首席卒業した私の「超・独学術」』という本に書かれていた「読んでいない本も「読んだ」でOK!」という節でした。

なぜそれで通用するのか? じつはハーバード大学は「授業に参加し、自分の見解を述べること」が成績評価に影響するというシステムなのです。
したがって、「・・・という問題について、あなたは賛成か反対か」というテーマで討論になったとすると「私は賛成です。なぜなら・・・であり」と主張を明快にし、その理由を述べることが大切です。

さらに、「発言したもの勝ち」という環境なので、教員が「課題図書のこの本はどうだったか」と問いかけると、学生は読んでいなくても自信たっぷりにコメントするのだとか。第一章、第二章だけ読んでもっともらしいことを言うのは日本人の感覚からすればただのホラ吹きでしかありません。しかし、廣津留すみれさんの経験によると「全編しっかり読んでくる学生は、むしろ少数派でした」。

なぜなら本はあくまでも題材であって、求められているのは「見解を述べること」であり、そのような積極性が評価対象であり、「本当に読んだかどうか」を問うているわけではないからです。
結果として「見解を述べるために、拾い読み」になってしまうのだとか。

私はこの箇所を読んだときに「なんだ、マタイ読みじゃないか」と気づきました。
マタイ読み。これは新約聖書の読み方の一つです。新約聖書は4つの福音書、使徒行伝、手紙、黙示録とたくさんのパートに分かれており、全部読むと膨大な文字量になります。
しかし新約聖書のなかで一番重要なのは4つの福音書であり、福音書で最も名高いのは「マタイの福音書」であるとされています。したがって「マタイの福音書」を読んで、新約聖書を読み切ったかのように装うことを「マタイ読み」といいます。

ただこういう読書法がいいかどうか・・・。なんだか「シンクロときめき」1曲を聴いただけで渡辺麻友さんの何たるかを論じているみたいで私はあまり好きになれません。そう思った時点で私は一生ハーバード大学とは縁がなさそうです。ま、快便術を知らなくても生きていけるから構いませんけどね。