『戦争は女の顔をしていない』。これはノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの代表先であり、独ソ戦(ロシアでは「大祖国戦争」と呼称)に従軍した様々な女性兵士の戦場での経験を書きとめたもの。第二次世界大戦でロシアは100万人を超える女性が従軍し、通信、輸送、飛行士、狙撃手、炊飯、洗濯、医療、とにかく前線だろうが後方支援だろうが、ありとあらゆる分野でソ連の勝利に貢献しました。

日本では「国防婦人会」という組織があり、出征兵士の見送りや傷病兵、遺骨の出迎えなどを行っていましたが、さすがに日本軍の一員として最前線で戦ったということはなかったはずです。それだけソ連は追い詰められていたということでしょう(スターリンの粛清のせいで人材が払底しただけとも言えますが)。

この本をひもとくと、血なまぐさい戦場の様子がいたるところに記録されています。
(目の前でドイツ軍が放った砲弾が炸裂して)何もかも吹っ飛びました。見ると一人だけ生き残っています。すでにドイツ軍は山に登って来ています。その負傷兵は言いました。「俺を置いて行けよ、看護婦さん、捨てて行けよ・・・俺はもう死ぬんだんから・・・」お腹がえぐられていて・・・、腸とか・・・もう何もかも飛び出して・・・その人は自分でそれをもとの場所に戻そうとしているんです・・・
この様子を証言できたということは、第二次世界大戦を生き延びることができたということ。多くは戦場に倒れるか、生き延びられたとしても戦争で受けた傷のために障害を負って生きることとなってしまいました。

戦争は人間らしい感覚を麻痺させ、仲間が死ぬ光景を繰り返し目の当たりにするようになるとそれが日常の風景となり、当然のこととして受け入れるようになってしまいます。
それでもあくまでも人間に踏みとどまろうとした人も。
忘れちゃいません、何一つ。でも、捕虜を殴れなかった。相手がまったく無防備だという理由だけでも。こういうことは一人一人が自分で判断したこと、そしてそれは大事なことだったの。
「大祖国戦争」の結果として、ロシア軍はドイツ軍を破り、ベルリンを占領します。しかしその代償として2600万人(推計値)の犠牲を払うこととなりました。当時のソ連の人口はおよそ1億人ですからおよそ4人に1人が命を落としたことになります(その頃の日本の人口はおよそ7000万人であり、太平洋戦争で失われた人口は300万人ほど)。

これほどの死者を出しながらファシストに勝利したことは、ソ連の誇りとなったことでしょう(それくらいしか誇れるものがないし、宣伝に使って粛清などの自国の犯罪的行為をカモフラージュするしかない)。

2022年、ロシア軍は突如としてウクライナに侵攻し、この目的として、ウクライナの「非ナチス化」を掲げていました。なぜ今どきナチス? と思うでしょうけれども、こうした背景を頭に入れておくと、「ナチス」という言葉がロシアにおいてどのような重みを持つかはなんとなく想像できるでしょう。

それにしても戦争というもののなんと残酷なこと。爆弾や銃弾の前には性別も何もなく、とにかく命中してしまえば体をバラバラに引き裂かれ、肉片となって飛び散ることになります。
なぜ戦争は避けなければならないか、『戦争は女の顔をしていない』を読めば嫌でもわかるでしょう。