2023年1月29日(日)、所沢市民文化センター・ミューズで行われた樫本大進さんのシューマンとブラームスのリサイタル。伴奏ピアニストはエリック・ル・サージュ氏が務めました。
曲目は次の通り。

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調 Op.105
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.100
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第3番 イ短調 WoO.27
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

シューマンといいブラームスといい、ドイツ音楽を語るうえで避けて通ることができない作曲家であり、まさに「ど真ん中」。しかしベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』のように華々しい演奏効果で勝負できるような曲というよりも、ロマン派らしい想念が盛り込まれた作品を集めています。

普通に考えて、ブラームスのヴァイオリン・ソナタなら『第1番 雨の歌』をプログラムに採用したほうが集客という観点から言えば有利なところ、これを外して2番、3番を持ってきたところに狙いが感じられます。

果たせるかな、本来の樫本大進さんの実力を考えればパガニーニだろうがイザイだろうが当然のごとく演奏できるはずですが、今回の語り口は技術ではなくシューマンやブラームスの内面をのぞき見るような深い音色に満ちあふれています。

ヴァイオリン協奏曲の名曲はおしなべてニ長調で作られていることからも想像されるように、この楽器は「歌う」ことでその持ち味を最大限に発揮します。逆にくすんだ色調の音色を用いた表現はヴィオラやチェロが担当するべき領域であって、ヴァイオリンはそういう音を出そうとすると途端に「弾きづらい」と感じるものです。なにしろG線をハイポジションで演奏するのって本当にきついんです。音は取れないわ、弓は使いにくいわ、ふと客席を見たらお客さんはそんな私の苦しみを知らん顔・・・。辛い!

しかしブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ第3番』の第2楽章には「G線で弾きなさい(Sul G)」という指示が楽譜に書き込まれています。やりづらい。しかしブラームスはこういう演奏をさせることで「苦しみ」を表現したかったらしいのです。

樫本大進さんの音色はこの『ヴァイオリン・ソナタ第3番』に最も特徴が現れていたと思います。ドイツ音楽の特徴である、音を超えて、その向こうにある「人間の感情」を表そうとする、文学的なものでした。どこをとっても自分をひけらかすことなく、あくまでもシューマンやブラームスの言いたかったことを伝える役割に徹し、緻密に音を紡いでゆくその姿は一流のヴァイオリニストであると言って間違いないでしょう。

何しろ、「とくに何もしていない」のにそれが芸術として成り立っているわけですから、これは唸らされます。「何もしていない」とは、工夫がないという意味ではなく、たとえばレクサスのシートに座ったときの感触に似ているでしょうか。一見して何の変哲もないシートではありますが、じつは座る人が快適に過ごせるように厳選された素材を使いつつ、一流の縫製技術で仕上げられているのです。樫本大進さんのシューマン、そしてブラームスはこういう趣があります。一音一音が充実しきっており、それがすべて「ドイツ音楽らしさ」に直結している。こんなリサイタルは年に何度も遭遇できるものではありません。素晴らしい(と、月並みな言葉を使いたくないのですが)ひと時でした。