日露戦争は辛くも日本の勝利に終わったものの、国力を使い果たしており継戦は不可能でした。
ロシアもそのことを見抜いており和平交渉では日本政府は思うような成果を獲得できず、「安易に講和してはならない」といった強硬論が台頭することとなりました。

恐るべきロシア、この国(ソ連)は第二次世界大戦では日本がポツダム宣言を受け入れてもなお攻撃を続け、満州では日本人を強制的に自国の領土へ連行し、重労働を行わせました。これがシベリア抑留です。
千島列島でも、樺太でも同様のことが起こり、北方領土問題は今なお未解決のままです。

明治維新以後現在に至るまで、ロシア(ソ連)は日本と何かしらの問題を抱え続けている、信用ならない国家であると言っても過言ではないでしょう。

ところが帝政ロシアは第一次世界大戦中の革命でとたんに倒れてしまいました。
なんだ、そんな簡単につぶれてしまう国だったのか!


ぐしゃっと潰れた帝政ロシア

なんだかお笑い番組のセットのように簡単に崩壊してしまった帝政ロシア。
司馬遼太郎『ロシアについて 北方の原形』によると、「帝政末期のロシアは、農奴にとってとても住めた国ではなかったのです」。

ロマノフ朝では農奴の生活はもともと過酷なもので、しかも時代とともにそれがどんどん重くなっていったと書かれています。時代の進展とともに民衆の生活が向上していったわけではなかったのです。
かつては「タタールのくびき」と言われ、モンゴル人の支配下にあったロシア。モンゴル人がいなくなっても、それがロシアの皇帝に変わっただけというのが実態だったようです。

さらに日露戦争でロシア軍が破れると、じつは思っていたほど皇帝の力は強くないということが露呈してしまいました。
当時のロシアは、西欧のように複雑な社会ではなく、象徴的にいえば、皇帝と農奴がいるだけといってよく、ツァーリ一人を倒せばそのままロシア的帝政という古怪なものが魔法が解けたように消えるという仕組みになっていました。ロシア革命が――語弊をおそれずにいえば――存外簡単だったことは、これでもわかります。

(司馬遼太郎『ロシアについて 北方の原形』より)
思えば、ソ連も最後はわりとあっけなく崩壊してしまいました。1991年、ゴルバチョフに反発した保守派がクーデターを企てるもののエリツィンがクーデターに反対する立場を明らかにすると軍の大部分もこれに同調。たった3日で鎮圧されてしまいました。同年12月25日にはゴルバチョフは辞任し、翌日ソ連最高会議がソ連の消滅を宣言。ソ連は69年の歴史に幕を閉じることになります。

ソ連も帝政ロシアと同じように、「どうやらもうだめらしい」という状況になると途端にパタリと倒れてしまっています。二度あることは三度ある・・・。何しろソ連が消滅してしまうなんて、冷戦時代に育った人は想像もしなかったでしょうし、これがずっと続くものだろうと思っていたことでしょう。今のロシアも、何かをきっかけにバラバラになるなんてことが・・・、ある、かも・・・?