ヒトラーが民主的な選挙によって政権を掌握し、総統という地位を獲得してから彼が自殺し、第二次世界大戦が集結するまでのドイツのことを「第三帝国」と称することがあります。ドイツ語でDrittes Reichですから3つ目の帝国という意味ですので「第三帝国」という訳語がべつに間違っているわけではありません。

まず神聖ローマ帝国があって、次にドイツ帝国があります。ビスマルクとかヴィルヘルム1世とかの、あのドイツ帝国です。その後に「第三帝国」が続くということになっています。
でも変ですね。「帝国」というからには皇帝がいるはずです。それこそヴィルヘルム1世とか、チンギス・ハーンとかティムールとかフェリペ2世とか。

え、ヒトラーに決まってるだろう? いえ、彼はKaiser=皇帝ではなくFührer=総統です。つまり別に皇帝がいたわけではなかったのです。

ヒトラーがナチ党の活動を通じて有権者に訴えたのは、これまでの中道保守に取って代わる、すべてのドイツ人が結集できる集団であり、ワイマール時代のようなリベラル路線でもなく、さらにそれ以前の君主制を志向する路線でもない、「第三の国」を目指そうということでした。

こういう「第三の何々」というのはよく聞く話で、ひところ「第三のビール」というものがもてはやされました。
「第三の道」というのもありました。たとえばブレア政権時代のイギリス。
ウィキペディアによると、
ブレア労働党は、保守党の市場化一辺倒、労働党の市場化への適応不足という袋小路に陥った状況を乗り越える路線として、市場の効率性を重視しつつも国家の補完による公正の確保を指向するという、従来の保守-労働の二元論とは異なるもう一つの新しい路線を目指すと主張した。これが、イギリスにおける「第三の道」である。
AではなくBでもなく、別の道を目指そう。それがブレアの唱えた主張であり、その数十年前にはヒトラーも似たようなことを言っていたわけです。

それにしても「第三帝国」という訳語、間違いではないものの、「帝国」という言葉に含まれるイメージからしてどうしてもヒトラーの訴えたことと結びつきにくく、誤解を生みがちですね。

ただヒトラーの主張というのは、人気取りのためにウケそうなことはなんでも取り入れようという安直なものだったことは否定しえないでしょう。そもそもナチスという名前自体が、「国家社会主義ドイツ労働者党」という、「人気の出そうな言葉をくっつけてみました」式のネーミングです。「国家」といえば保守層が喜びそうですし、「社会主義」といえばリベラル層が関心を持つだろうという期待を込めているのがミエミエ。「ドイツ」ですべてのドイツ人に関係することですよ、と有権者全員にアピール。さらに「労働者」を持ち出すことでサラリーマンに優しい政策を採用しますとでも言いたげです。

それにしても。「人気取りのためにウケそうなことはなんでも取り入れようという安直なもの」はヒトラーだけではなくどこの国にもいるものです。いまの日本にも、あいつとか、こいつとか・・・。