モーツァルト、ヴェルディ、フォーレといった作曲家が残した『レクイエム』のほかにも、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』や、フォーレの影響下にあるデュリュフレの『レクイエム』など、世の中にはレクイエムひとつ取ってみてもたくさんの名曲があります。

それもそのはず、死んだ人のことを思い浮かべながら、「どうか天国に入れてやってください」と神に祈る曲なのですから中途半端な気持ちで作曲できる代物ではありません。モーツァルトなんて、絶筆となったのが『レクイエム』で、自分の命を削りながら死の床で少しでも書き進めようとしていたようです。

あまり知られていませんが、フランスらしい、平明で穏やかな美しさを湛えたカンプラの『レクイエム』もまたレクイエム好きにとっては(そんな人いるのか?)たまらない一品です。


カンプラの『レクイエム』も美しい

カンプラ? 聞いたことないな。天麩羅?? 
私も最初はそんな感じでした。大多数のクラシックファンの守備範囲はバッハからストラヴィンスキーくらい。ど真ん中がモーツァルトからマーラーまで。これでも300年をカバーすることになるので、相当なものです。

手元のCDの解説書によると、カンプラは1660年に南仏のエクサン・プロヴァンスに生まれ、1744年にヴェルサイユで没したとあります。ノートルダム大聖堂楽長の地位にあったり、コンティ侯の宮廷礼拝堂楽長に任じられた時代もあり、モテット、オペラ、カンタータなどを作曲していたようです。
要するに当時の音楽家の多くがそうだったように、宮廷の一員として働いており、「キミ、今度バラを見る会を夏の離宮で開くから、俺に忖度した音楽を作ってくれ」「ハハーッ」といったやり取りが日常的に交わされていたことが想像されます。

肝心の『レクイエム』の作曲年代は特定されていないようで、どうやら17世紀末だということになっているようです。
それはさておき、この『レクイエム』は一応場面場面で長調になったり短調になったりするのは当然として、たとえ短調の場面でもモーツァルトの『レクイエム』のような悲劇性やデモーニッシュなものは影をひそめており、むしろ古雅な雰囲気を常に湛えていて、気品が感じられるのが特徴です。

これは・・・、そう、数百年後にフォーレが書いた『レクイエム』の先祖だといっても過言ではないでしょう。ドイツ音楽のような重苦しさがなく、どこまで行っても白く明るい世界が続きます。思えば葬儀で使われる花は蘭や百合といった白い花でした。清潔な祭壇の前に置かれた、簡素な棺。そこに故人を偲んでたくさんの人が感謝のほほえみと涙とともにたくさんの花を捧げていく・・・。カンプラの『レクイエム』はそういう世界観でしょう。

普通に聴いてもきれいな『レクイエム』。邪道だと自覚しつつも、私は新幹線とか特急で長距離を移動するとき、ノイズキャンセリングヘッドホンを使って聴いています。レクイエム本来の用いられ方ではないものの、こうすると読書に集中できるのです・・・。まさかカンプラも東洋人がこんなふうに自分の作品を流し聴きされるなんて想像もしなかったでしょう。
肝心のCDは、この記事を書いている2022年12月時点でアマゾンでは取り扱いがありませんでした。
楽天ならどうやら所々のお店に在庫があるようです(中古品含む)。
私が聴いているのはルイ・フレモーがパイヤール室内管弦楽団を指揮したもの。1960年の録音ながら極めて鮮明な音質で、まさか60年以上昔の記録だとは思いもよらないでしょう。

通販以外ですと、ごくまれにブックオフなどで見かけることがあります。新品の定価でも1,500円+消費税という低価格なので、見かけたら即購入で良いでしょう。