ブログが流行ったのは今から10年ほど前のこと。ということは流行り廃りのサイクルが短いインターネットの世界では相当昔のことです。当時はまだスマホを持っている人なんて少数派で、Facebookは日本では広まらないなんていう意見も珍しくありませんでした。
その後通信速度や通信環境が大幅に改善され、3Gが4Gになり、誰もがiPhoneを持つようになり、しまいには一生ガラケーでいいと思っていた(誰とも連絡を取らないので)私ですらスマホに持ち替えてしまいました。これは単にガラケーが2018年夏に故障したので仕方なくでしたが・・・。
この流れの中でブログは少しずつ自己表現としての役割を失ってゆき、代わって台頭してきたのが動画コンテンツであり、音声コンテンツでした。昔のYouTubeは短尺で画質も悪かったですが今ではテレビと比べて遜色ありませんからね。それに車の運転中でも視聴できるということで音声コンテンツもやはり注目されています。
そして有名ブロガーですら「ブログはオワコン」と言い切るようになったのが2019年だか2020年頃。ま、テキストなんて書くのも面倒ですし読むのも時間がかかります。受け身でOKな動画や音声に比べると疲れるというのも理由にあるのでしょう。
他方で2022年が終わろうとしている今も私は相変わらずブログを毎日更新し続けています。ばかりか毎回のごとく代わり映えのしない「同僚と食事をしたくない」「同僚と休日に会いたくない」「友だちがいないほうがいい」「誰ともしゃべりたくない」といった根暗コンテンツを投下しています。暗いですね・・・。
でもこうやってブログ記事を書いていると、誰も読まないページだらけであっても「続けていて良かった」と思える時が(たまに)あります。ん、たまにしかないということは、むしろ最初から始めなかったほうが良かったということでもあるのでしょうか!?
ブログを続けるようになって文字とか言葉を大切にするようになった
つい先程、アゴラという言論サイトで岡本裕明氏の記事「マンガが読めない子供たち:文字が読めない日本人が生まれつつある 」を拝見しました。ここには、
・昔はみんなマンガを読んでいた
・が、スマホの普及とともに「眺めるだけ」のマンガが増えた
・さらには声が出るマンガも出てきた。自分で読む必要がない
・こういうものが普及するにつれて読解力が低下していくのでは
・YouTubeを見て何かを分かった気になったとしても付け焼き刃の理解でしかない
・カナダの社会人は字が書けない。スペルミスが多い
・日本も将来そうなるおそれがある
・要因として、忙しさを理由とする読書離れがある。意識的に時間を確保しないと本を読むことすらできなくなった時代になりつつあるのだろうか
といったようなことが書かれていました。
私は年間100冊近く本を読み、また毎日のようにブログ記事を書いています。そのうちの何割かは本を読んで仕入れたネタがベースになっています。本を読んで分かったこと、疑問に感じたことをブログに書き連ね、それがきっかけとなってまた別の本を読み進めたり、といった相乗効果も発生しています。
こういうサイクルを自分で回していると、徐々に「言葉」とか「書物」というものに今まで以上にリスペクトを感じるようになってくるのです。
私が会うことのないはずの人の言葉、私がとっくに生まれる前に死んでしまった人の言葉、私とは相容れない価値観を持った人の言葉、こうしたものが「書物」としてまとめられ、21世紀の日本に生きる私に届いている。ここには自分の力を越えた大きな歴史や社会のうねりがあり、私はこれを受けとめてまた次世代へこのブログまたは何らかの形で伝えてゆく立場を担っている・・・、そういうことをふと自覚して、「言葉」の集積としての「書物」が私の手元にあることに深い感動を覚えるのでした。
ある人は、自分の日記にこのように書き残しています。
別のページには、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう。そして幸福なひとはだれでもほかのひとまで幸福にしてくれます。それだけの勇気と信念を持つひとは、けっして不幸に押しつぶされたりはしないのです。
このように「生きる」ことへの強い意志、幸福を求めて手を差し伸べようとする美しい姿を書き残したのはアンネ・フランクでした。彼女はこのときまだ14歳。ご存知のとおり彼女は1944年夏に家族とともにナチスに囚われ、1945年2月下旬または3月上旬にベルゲン・ベルゼン強制収容所にて命を落としています。わたしはぜひともなにかを得たい。夫や子供たちのほかに、この一身をささげても悔いないようななにかを。(中略)わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!
こうした言葉を目の当たりにしたときの感慨、この言葉よ世界中の人々に届けと願う思いを少なくともブログという手段を通じて私なりに記録できるというのは大変ありがたいこと。誰も読まない記事であっても、いやいつか誰かが目を留めることを願って文字を並べてゆくとき、ブログを続けていて良かったと思うのでした。そんなふうに感じる時ってめったにないんですけどね。
コメント
コメント一覧 (2)
友達いない研究所の所長さん これからも続けてください
コメントありがとうございます。毎日慢性的ネタ切れに困りながらも記事をひねり出しています。今後ともよろしくお願いいたします。