私は陰キャ。何度も書きました。友だちもいません。これも何度も書きました。なにしろこのブログタイトル自体「友だちいない研究所」っていうくらいですから。
そんな私は人と会うことすら嫌いです。はいこれを書くのも何度目のことでしょう。理由は人と会うことで自分の時間が減っていってしまうからです。人と会っても費やした労力や時間に見合うだけのメリットがなければ徒労感だけが残ります。そんなことに時間を使うくらいなら夏目漱石でも読んでいるほうがよほど有意義です。
こういう私ですから人と話をすることも嫌いですし、そもそも人が近くにいるというだけでも嫌悪感が胸の奥からひたひたと湧き上がってきてしまいます。有楽町の吉野家に行った時はひどかった。ここが行きつけだった京セラの稲森さんには申し訳ないですが、男のサラリーマンばかりがずらっと並んで同じものを食べているという異様な光景。個人の意志とは無関係に勝手にこの列の中に同化してしまうなんて『エヴァンゲリオン』の人類補完計画ですかこれは。
こんなことを考える私は典型的陰キャ。ふと、「ワイ、タワマンに向いてない」と思い当たりました。
陰キャにタワマンは向いてないだろう
まずエレベーターで誰かと一緒になりたくありません。廊下で人とすれ違うのはまだ分かります。
でも「挨拶をしたほうがいいのか、しなくてもいいのか」くらいの関係性の人と一つのハコの中に閉じ込められてしまうと、結局挨拶すべきかしなくてもいいか・・・、相手も同じことを考えているのか沈黙が続くという光景がまず想像されます。朝からそんな体験は嫌です。
そもそも外に出るのに余計な時間がかかるというのも良くありません。廊下を通り抜けて(エレベーターは避けて)階段を降りる。毎日この繰り返し。1日あたり1,2分は時間を捨てていることになります。ということは1年で少なくとも365分を無駄にしています。きつい。
管理組合とかいう人間関係もまっぴらです。生活音、違法駐車、ペット飼育、共用部分への私物の放置・・・。こういうマンションにありがちなトラブルはつまりは一つのところに人間が集中的に居住しているから起こること。人間関係が減れば減るほど嬉しいと感じる私にとって上下左右に他人がいるだけで不愉快なのに、廊下に三輪車など放置されたからかなわん。
ここまでは普通のマンションだろうがタワマンだろうが共通しています。
さらにタワマンの場合、「上の階に暮らしている人ほどカーストが高い」という謎のカルチャーがあります。くだらない・・・。夏目漱石の『こころ』を読むと、しょうもないことで他人を見下したり劣等感を抱いたりする様子がこれでもかと描写されています。大学に入って勉強して賢くなったらその能力を社会のために活かすかというとそうでもなく、自分の地元の人のことを「物足りない」とそこはかとなく軽蔑し始めたり、お気に入りの女の子が他の男といちゃつくと腹を立てたり、しまいには「なんであの子はあいつばかり」とムカムカしてきて、そのあいつ=友人Kに冷たい態度を取ったり。
先程「夏目漱石を読んでいるほうが有意義だ」と書いたのは、そういう人間のしょうもなさはいつの時代も同じであるということがありありと分るからです。夏目漱石がひそかに小説のなかに織り交ぜた事柄を吸収したうえでタワマンのカルチャーを知ると、「縄張り意識の強い成金がマウンティングしてくる(らしい)」とか、そもそも「階数が高くなるほど、販売価格も上がっていく(これは本当)」ことに「人間のくだらなさが凝縮した様子」を感じ取り・・・、うーん、書いてるだけで吐き気がしてきました。
ちなみに私は現在軽量鉄骨の集合住宅に住んでいます。全部で6つの部屋があります。これくらいのサイズが私にはちょうどいいみたいです。ワイの家、タワマンじゃなくてよかった。
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