たとえプロでなくても、ある程度上達すれば弾けてしまうのがヴィヴァルディの『四季』より「冬」の第2楽章。あの有名なメロディです。せいぜい2分くらいで、発表会とかで、ソナタなどを弾いたあとに(あるいは弾く前の小手調べに)余白を埋めるくらいのつもりで軽く弾けてしまう曲です。

ご存知のとおり『四季』にはソネットが添えられており、「冬」の第2楽章「外は大雨が降っている、中で暖炉で満足そうに休息」というもの。

たまたま有給を取って、遅く起きた朝にカーテンを開けたら雪が積もっていたことはありませんか。
(今日の通勤大変だったろうな・・・、休みでよかった)
きっとあなたはそう実感するはず。あなたがマイカー通勤であれ電車通勤であれ、徒歩だろうと自転車だろうと雪というのは通行を妨げる厄介なもの。北海道の人にとっては日常風景かもしれませんが・・・。

でもあなたは休み。働かなくていいのです。「中で暖炉で満足そうに休息」というわけで、アマプラでも観てラクをしようではありませんか。
・・・私がイメージする「冬」の第2楽章はこんなところです。やるきのない会社員そのもの。

「曲に対してイメージを持って演奏しなさい」、そう私の先生は言いますが、「冬」がこんなイメージだなんて、あえて先生の前で説明したことはありません。

・・・とかいう気楽なことを考えながら「冬」の第2楽章を弾いてみたら大間違いでした。

「冬」の第2楽章は案外安心してはいけない

バロック音楽の研究者として名高い皆川達夫さんはヴィヴァルディのことが嫌いでした。
『バロック名曲名盤100』には、
まあ、正直いってわたくしはこの作品があまり好きではありません。音楽の構成や密度も薄く、その手放しの楽天主義に、ついていけないことがあるのですが、しかしなんといっても理想的なバックグラウンド・ミュージックとして幅広い人気をかちえていることは十分納得できるところです。それに、〈四季〉をオミットしたのでは、この本の売れ行きもガタンと落ちてしまうことでしょうから、たとえ個人的には好きでないとしても、あえてここにとりあげることにしました。
と書かれています。ムード先行で、シュッツとかバッハとかに比べると彫りの深さが足りないのが不満だったようです。

このムード先行というのが曲者なのでした。ついつい、ほんとにムード音楽っぽく弾いてしまいがちなのです。現代の私たちは、バロック、古典派、ロマン派という流れを受けて、映画音楽なんかを聴いていても「これ、マーラーのマネ? ホルストのパクリか?」と思うような曲をよく耳にします。そういう音楽を当たり前のものとして受けとめていると、いざ自分が演奏する側になるとヴィヴァルディの「冬」すらなんだかロマン派みたいな音楽になってしまうのでした。

でもバロック音楽の場合、音符と音符の間に微妙に隙間があるのが本来の姿だったらしく(当時の生存者がいないので真偽不明。一応、研究結果としてそういうことになっているようです)、ロマン派みたいにつなげてしまったり、ポルタメントを入れてしまったり(←私)してはいけないのでした。

「そういうふうに弾くな」と何度言われてもついやってしまうのは、スーダラ節の「わかっちゃいるけどやめられない」というやつでしょうか。いや単に私の能力が足りてないだけなのでしょう。

さらにはこの曲はフラット3つ=変ホ長調ですが、ヴァイオリンという楽器があまり得意とする響きではありません。意外と思うように楽器が鳴ってくれず、「?」と違和感を感じがちです。
聴いている方はラクでも弾いている方は辛いという理不尽を、こんな小品でも改めて認識させられました。