私は陰キャ。根暗です。「友だちいない研究所」なんていうブログを運営し、毎日「同僚とぜったいに昼食を食べたくない」「飲み会からの逃げ出し方」「クラスに友だちがいないので、グループワークを一人でやってみた」のような記事を書いています。4年以上も。

当然ながら社会人になった今も友だちがいません。休日は誰とも会いません。でもそっちの方が幸せです。自分にとっては、人間関係がゼロであること、誰とも喋らなくていいことが「幸せ」とか「平和」の証なのです。

ただ何の取り柄もないのでサラリーマンとして働いていますが、これが砂を噛むように苦痛です。
業務そのものは難しくなくても、人が話しかけてきたり、逆に人に話しかけなければならない場面が多々あります。更には他人が注文したアマゾンを自分が受け取るとかいうしょうもないことで時間が消えていくこともあります。お前の宝物は俺にとってのガラクタだ! 何度注文した奴に(内心)そう毒づいたことでしょう。

そんな私の理想の人生は、「誰とも会わず、喋らずに暮らしていけること」です。

いるわけないだろそんなことできる奴・・・。







・・・いた!



シベリウスの人生が羨ましい

シベリウス。フィンランドの作曲家です。

ウィキペディアによると、
ジャン・シベリウス(1865年12月8日 - 1957年9月20日)は、後期ロマン派から近代にかけて活躍したフィンランドの作曲家、ヴァイオリニスト。

フィンランドの最も偉大な作曲家であると広く認められており、同国が帝政ロシアからの独立を勝ち得ようともがく最中、音楽を通じて国民意識の形成に寄与したと看做されることも多い。

sibelius
(画像:こちらもウィキペディアより)

彼の作品のなかで最も名高いのは「フィンランディア」でしょう。



この曲が作られた当時、フィンランドは帝政ロシアの圧迫を受けており、独立の機運が高まっていました。こうした時代を背景に、フィンランド国民としての誇りを刺激する「フィンランディア」は大変な人気を博し、フィンランドの第2の国歌とも目されるようになっていったのです。

「フィンランディア」の他にも交響曲を7曲発表しており、寡黙な作風のなかに北欧の厳しい自然が思い浮かぶような独特のたたずまい。

彼の人生の何が陰キャにとっての理想なのか。
実は彼は後半生はほとんど人と交わらない暮らしでした。

指揮者・朝比奈隆がフィンランドに演奏旅行に出かけたときのこと。彼は、外国人が指揮してうまくいったためしがないという「フィンランド」を演奏し大成功をおさめました。
この日の演奏会はシベリウス88歳の誕生日だったそうです。
朝比奈隆はエッセイ「欧州演奏旅行」にこう書き残しています(『楽は堂に満ちて』収録)。
シベリウスはフィンランド音楽の父といわれる作曲家で、一九五七年、九十二歳でその生涯を終わるまで名誉国民として森の中で静かに余生を過ごしていた。「彼の家にはだれも訪問することは許されません。誕生祝いには大統領がただひとり花を贈って国民の喜びを伝えます。あなたの演奏会にも彼に代わって妹さんが見えます」と話し続けるその人の声は誇りに満ちているようだった。
事実、シベリウスは1926年に最後のまとまった形での作品を発表すると、創作活動に従事することなく、社会との接点をほとんど絶ったまま生涯を終えています。この後半生は、彼が暮らした地域にちなんで「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ばれています。

彼がなぜ作品を発表しなくなってしまったのか、はっきりとしたことはわかっていませんが1924年に発表された『交響曲第7番』の出来栄えを考えると、これ以上の作品を生み出すことができるという確信を持てなくなってしまったと見るべきでしょう。私自身もNHK交響楽団の演奏でこの作品を聴きましたが、まるで自殺した同僚が川の向こうからじっとこちらを見ているような・・・、そんな音風景が広がっていました。

卓越した能力を持って生まれてしまったがゆえの「隠居」であった可能性は否定できないものの、陰キャで人と接点を持ちたくないと強く願っている私にとっては彼の後半生が羨ましい!

しかし、彼みたいな作曲家になれる可能性もないと自覚もしています。だから仕方なくサラリーマンやってるんですよ・・・。ああ、人と喋りたくないなあ・・・。