体育祭というのはとても嫌なイベント。台風が来て中止になれば万歳! 中止になって陽キャが落ち込んでたら万々歳!!
そう思ったあなたは陰キャです。たぶん友だちがいないでしょう。私と同じですね。
ようこそいらっしゃいませ、「友だちいない研究所」へ。
このブログは友だちいない私が陰キャで根暗な出来事を綴るために作ったもの。
そんな私にとって体育祭は嫌な思い出しかありません。まあ年を重ねるたびにその思い出とやらもだんだん思い出せなくなってしまうんですけどね。
でもこれは私だけの感想ではないはずです。
陰キャな女子高生後藤ひとりがバンドをすることになった、というお話の『ぼっち・ざ・ろっく!』によると・・・。
体育祭・・・。陰キャのトラウマ学校イベント第1位(日本陰キャラ協会調べ)運動のできない者は煙たがられ存在価値を奪われる忌まわしき祭典授業内だけでなく放課後も応援練習などに駆り出され個人の時間など皆無約1カ月体育祭の為だけに生きる事を強いられる・・・自分の能力では貢献できないとわきまえ隅の方でじっとしていると非協力的と罵られるこのイベントの真に恐ろしい所は何をしても陰キャは邪魔な所である・・・そしていつまでもこうやって引きずってるところが更に自分が陰キャなのを自覚させつらくなる・・・(『ぼっち・ざ・ろっく!』第1巻より)
ほんとこれな。
まず「個人の時間など皆無」というのがものすごく辛い。一人で本を読んだりする時間が赤の他人の都合で消えていく、この苦痛。
スティーブ・ジョブズは言いました。「あなたの時間は限られている。だから、誰かの人生を生きて無駄にしてはいけない」。これは真理です。でもそんなことを陽キャに言ったらますます教室に居場所がなくなります。教師に言っても無駄です。彼らもサラリーマンなので学校の方針に従う以外の選択肢はないのですから。
こうして大した貢献もできないまま、体育祭は終わりを迎える・・・。
甘いですね、これですべてが終わるわけではありません。
体育祭準備から実施までの1カ月で、クラス内のあなたの評価はほぼ定着してしまいます。「あいつ陰キャだな」「バカにしてもOKな奴だぞ」。誰も口に出しませんが、周りの人はそう思うのでしょう。こうやってスクールカーストという見えない階級が形成されていくのです。
文化祭があるから、文化系の人はそっちで挽回できるじゃないかと思ったあなたも甘いですね。
多くの学校では体育祭のあとに文化祭を行います。このため、「バカにしてもOKな奴」という風評が定着してしまっている状態で文化祭の準備に取り掛かることになります。はっきり言ってクラスでの発言力は無きに等しいです。そんな奴が何か言ったとしても真剣に取り合ってくれる人がどれくらいいるのでしょう?
逆に、体育祭で目立った奴は文化祭でも目立つことになるのが実際の所ではないでしょうか。「あいつリーダーシップあるな」と思われていた奴が体育祭で「やっぱりあいつしかない!」になり、文化祭でも旗振り役を担うことになります。
これは「マタイ効果」というものですね。この名称はロバート・キング・マートンが、1968年に雑誌『Science』に掲載した論文で発表されたものです。彼は『新約聖書』の「マタイ福音書」の一節、「持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」を引用し、同一な研究に対して、有名な科学者が無名の科学者に比べて事実上より多くの補償を受け取る現実を説明しました。
ウィキペディアによると、
それは科学界以外の様々な分野でも見ることができる。「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と要約できる。
ということは、陽キャは体育祭などの環境を利用してますますリーダー格になっていくが、陰キャはますます隅の方へ追いやられて立場が弱くなってしまうということになります。
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