そういうつもりがなかったとしても、自分の知識や経験不足が災いして、結果的に恥ずかしいことをペラペラと喋ってしまうことはありませんか。

「きのうね、おとうさんとおかあさんがね、はだかでプロレスごっこしてたよ!」

無邪気に語る幼稚園児! 言った子供は次の日にはすっかり忘れていることでしょうが、これを聞いた保母さんは現場を想像してニヤついたのか、絶句したのか・・・、はわかりません。

ただこれは子供が喋っていることですから、いちいち追求したり笑ったりしても意味はありません。
それよりも大人がこういうことを言ってしまうと、本当に黒歴史になります。


三島由紀夫『美徳のよろめき』のあけすけな夫人は自分のやらかしにいつ気づくのか?

新潮文庫に収録されている三島由紀夫の『美徳のよろめき』。
生れもしつけもいい優雅なヒロイン倉越夫人節子の無垢な魂にとって、姦通とは異邦の珍しい宝石のようにしか感得されていなかったが・・・。作者は、精緻な技巧をこらした人工の美の世界に、聖女にも似た不貞の人妻を配し、姦通という背徳の銅貨を、魂のエレガンスという美徳の金貨へと、みごとに錬金してみせる。”よろめき”という流行語を生み、大きな話題をよんだ作品。
裏表紙の説明文はこのようなもの。
節子が土屋という男と浮気を続けるお話ながらも、そこには悪いことをしているという筆致は感じとることができません。なにしろ善悪を越えたようなところに節子の感情があるのですから。

それはともかく、節子の友人に「あけすけな夫人」が登場します。
ある日彼女は友だちのあけすけな夫人が数人の同性の友の前で、世にも天真爛漫な調子で、或る発見を報告するのをきいた。
「あたくし、黒子(ほくろ)を発見したのよ。それも大きな黒子を。生れて三十年ものあいだ、自分でちっとも知らなかった黒子を」
夫人は大声でそう言った。ある晩、良人の旅行の留守に、ふとした気まぐれで、彼女は手鏡に映して詳(つぶ)さに調べ、襞のあいだにひっそりと眠っている、黒い木苺のようなそれを発見したのである。

(中略)

「だから自分を知ってるなんて己惚れちゃだめよ。三十年自分と附合っていても、まだ知らない黒子が出て来たりするんだから」

いやそれほくろじゃないから。刺激すると気持ちよくなるやつですから。

この夫人は一体どういう夫婦生活だったのかは想像するしかありませんが、ほくろだと思っていた、ばかりかその存在に気づいていなかったと言っていますから推して知るべし。この本が出版されたのは昭和32年ですから、「あけすけ」な性格の女性であってもそれくらいの知識しか持っていなかったということでしょうか。

しかし、似たような恥ずかしい話を私たちもどこかでやってしまっているかもしれません。問題は、それが「やらかし」だと自分では気づかないということです。
あとでこっそり教えてくれるような人がいればいいですが、『美徳のよろめき』ではあけすけな夫人に誰かが本当のことを伝えたとは書かれていませんのでたぶんそのままなのでしょう。

「知る者は言わず言う者は知らず」とはまさにその通りで、ペラペラと得意になって喋っていると思わぬ黒歴史を無意識のうちに作り出してしまっているかも・・・?