ヴァイオリンでクラシックの曲を弾いていると、いつかはやってしまうしょうもないミスについて。

バッハから武満徹まで、「クラシック音楽」と一言で言っても300年くらいの歴史があります。
時代によって「バロックの様式」「古典派の作法」「ロマン派らしい響き」など、様々な演奏法を使い分けなければなりません。まさかマーラーで使うようなヴィブラートやポルタメントをストラヴィンスキーとかヴィヴァルディに当てはめるような人はいないでしょう。別にそういう演奏法を否定するわけではないですが、ほんとにやっちゃう人がいたら・・・、少なくともプロの奏者ではないですね。

世の中にはエルマンみたいに懐かしさを感じさせるトーン、特徴的ポルタメントとかヴィブラートがウリのヴァイオリニストもいます(故人)。ギトリスみたいにあえて曲がったような音を出したり、フレージングが独特の個性を放つ人もいます(これも故人)。

ただ実際にはバロックはバロック、古典派は古典派それぞれの暗黙の決まりごとがありますから、それを尊重しつつ演奏するのが普通の姿です。

・・・というのは頭では分かっているのですがいざ自分がやってみると「つい」という出来事が起こってしまうのは、「わかっちゃいるけどやめられない」ものです。


モーツァルトを弾いたあとでヘンデルを弾くと、ついやってしまうミス

モーツァルトの曲はどれも独特の軽やかさがあり、明るさとか儚さとか、いろいろな感情が散りばめられつつも次から次へと移ろっていくという、この世の奇跡。
しかし『ヴァイオリン協奏曲』のように、入試問題にも採用されるような「誰もが通る道」的な曲でさえも、鑑賞に値するクオリティに到達するのは至難の業。超絶技巧がどうのこうのという内容ではなく、音のニュアンスが命なのでちょっとした右手左手の動作が音にもろに反映されてしまうという地獄です。

とくにスタッカートが出てくると、「ウキウキするような弾ませ方」をするのが難しいです。

たとえばこの「ロンド」。



弾ませすぎると弦の上で弓が過剰にバウンドしてしまいコントロールを失います。
その辺の加減が難しくてたった1,2小節を練習するだけで日が暮れてしまいます(本当である)。

ああ、まったく弾まない、難しい・・・。なんでワイはこれが弾けないんや・・・。ワイって劣等人種なんじゃないか・・・。そういう落胆とともにヘンデルを弾き始めるとまずいことになります。


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ここに引用した楽譜はヘンデルの『ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調』の第2楽章。
赤でアンダーラインした箇所はスタッカートが書かれています。
モーツァルトの気分を引きずったままこれを演奏すると、「ああ、弓がまったく思い通りに弾まない。なんて難しいんだ」などといって謎に絶望してしまいます。

ダメです。弾ませてはいけません。バロックの決まりごととして、知ってる人は知ってるのですがそれぞれの音と音の間に微妙な隙間を入れなければなりません。
ロマン派なら「ドーレーミー」とつながっているようなメロディでも、バロックなら「ドー()レー()ミー()」といった具合になります。したがってこの楽譜の出だしの「ラーミー」もヴィブラートをたっぷりかけてつなげてはならず、ラとミの間で若干音を切らなくてはなりません。

同じく、赤のアンダーライン箇所についてもそういう隙間を若干強調するといった程度のニュアンスであり、モーツァルトのロンドみたいに弾ませてはいけません。

考えてみれば当たり前の話ながら、モーツァルトのあとにヘンデルという順番で練習するとついモーツァルトの気分を引きずってどうしてもそうなってしまうのです。「ピザピザピザ」と10回連呼したあとで「膝」と言おうとしてもつい「ピザ」と言ってしまうようなものでしょうか。

「なんで弓がこんなに弾むんだ!」とレッスンで指摘されて、「あっ」となる私。
ワイって無能なんや・・・。いやみんな知ってるけど。