ゲーテ畢生の大作『ファウスト』では、偉大な学者ファウストが悩むところから始まります。
哲学、法律学、医学、神学・・・。ありとあらゆる学問を修めたはずなのに、博士だの先生だのと崇められているはずなのに、もう何年も弟子たちの前でふんぞり返っているのに(これは余計)、昔と比べて自分が賢くなったという実感を得ることができていませんでした。

「少年老い易く学成り難し」ということを実感し、学んでも学んでもまだ自分は何も知らないということを逆に思い知らされたのでしょう。長い学問の果てにこういう認識に到達してしまうのって、なんだか残酷ですね。

スポーツの世界なら世界選手権1位とか、オリンピックで金メダルとか、明確に「フルマラソンをこういうタイムで走破した」のように数字で記録が表現されますが、相手が哲学となるとそういうことができないのでなおさら苦しいでしょう。それで年ばかり取ってしまい、あとは死ぬだけ・・・。

ファウストは手短にいってこういう心理だったわけですから、メフィストフェレスが「あの男をうまいこと引っ掛けて自分の道に引きずり込んでやろう。きっと俺の話を信じるぜキヒヒ」と思ったとしても不思議ではありません。かくして物語の歯車が動き始めます・・・。


ファウストがメフィストフェレスと契約した理由

ファウストがメフィストフェレスと契約した理由は明確に書かれています。
第一部「書斎」。1766行目でファウストはこうメフィストフェレスに語ります。

めくるめくような想いがしてみたいのだ。死なんばかりの快楽、
恋から出た憎しみ、胸のすくような立腹などの。
知識欲とは縁を切った己の胸は、
今後どんな苦痛をも避けぬつもりだ。
己は自分の心で、全人類に課せられたものを
じっくりと味わってみたい。
自分の精神で、最高最深のものを攫んでみたい。
人類の幸福と苦悩とを己の胸で受けとめてみたい。
そして己の心を人類の心にまで拡大し、
最後には人類同様、己も滅んで行こうと思うのだ。

ゲーテ『ファウスト』、新潮文庫版 高橋義孝訳より

学問を通じて観察可能な「世界」ではなく、別の角度から「世界」を味わい尽くしたい――そういう動機が彼をしてメフィストフェレスと契約せしめたのでした。そしてご存知のとおり第二部で彼はとうとう「自分の精神で、最高最深のもの」を目の当たりにし、「止まれ、お前は美しい!」と叫んで絶命します。

このようなファウストの性格はまさに研究者そのもの。
NHKの科学ドキュメンタリー番組「フランケンシュタインの誘惑」を見ていると、自らの研究に突き進む一方で、常識や良識がおろそかになる研究者の姿が繰り返し取り上げられます。

ナチスは原爆を製造していないと知りつつもマンハッタン計画を推進したオッペンハイマー、月面旅行を夢見てナチスそしてNASAを渡り歩きアポロ計画の主要メンバーとなったフォン・ブラウン、ラジウム研究に突き進むがあまり放射能に由来する障害にはあえて背を向け続けたキュリー夫人・・・。こうした姿を見ていると研究者は自らの道を邁進する一方で常識から逸脱しやすいということが嫌でも思い知らされます。

「自分の精神で、最高最深のものを攫んでみたい。
人類の幸福と苦悩とを己の胸で受けとめてみたい。」
ファウストは語ります。しかしその余計な探究心ゆえにグレートヒェンという痛ましい犠牲があったことは見落としてはならないでしょうし、上記の番組でも一般市民が先端的研究と称するもののせいで健康を害してしまう事例がたびたび紹介されています。

それにしても、ファウストみたいな奴が私の近くにいなくて本当によかった・・・。いたら絶対ウザかったでしょうね。