2022年9月28日(水)、Hakujuホールにて行われた「篠原悠那ヴァイオリン・リサイタル 若きヴィルトゥオーゾが誘う多彩な響きの世界」は、凛とした音がホールを満たす素晴らしいひとときとなりました。

まずはそれほど演奏頻度の高くはないモーツァルトの『ヴァイオリン・ソナタ第35番』。篠原さんご自身が語るようにすべての音楽家にとっての永遠の課題でもあるこの作曲家の作品は、譜面を見ると一見誰でも弾けそうに見えるものの、実際に演奏してみると全然そんなことがないという恐ろしいもの。

甘く弾こうとすると甘すぎて古典派から逸脱してしまい、クールな表現を目指すと表情が失われて味気なくなり、とにかくバランスが難しいのがモーツァルト。この日の『ヴァイオリン・ソナタ第35番』はまさにそのあたりの加減を上手く調整している様子がうかがわれました。結果として、甘みと苦味が同居しつつも喧嘩しない、いわばザッハトルテと濃いめのコーヒーといった絶妙の組み合わせ。

続いてのクライスラーの3作品(「美しきロスマリン」「愛の喜び」「愛の悲しみ」)は、これらのウィーン情緒をかなり濃厚に表現していたと思います。小品はこれくらいの味付けがないとどういう演奏だったのか、帰宅後に思い出せなくなってしまいがち。その意味で、モーツァルトの後に表情の濃いものを3つ並べるという配列はいわば作戦勝ちでしょう。

サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」は、『四月は君の嘘』のモデルアーティストとしても演奏した経験があり、その時の奔放な演奏とは違った(そもそも登場人物の宮園かをりがそういう弾き方をするというキャラクターだった)端麗かつ明確な演奏。休憩後の『クロイツェル・ソナタ』にも通じる世界観でしょう。

前半最後の曲には藤倉大さんの「Dawn Passacaglia」。ヴァイオリン版は世界初演とのことで、私もこの場に偶然立ち会うことができました。正直な話予備知識ゼロで接した作品なので自分の中に評価軸が確立されているわけではなく、コメントし辛いのですがヴァイオリンからありえないような音が次から次へと繰り出されるのは篠原悠那さんの紛れもないヴィルトゥオジティの証でしょう。

休憩を挟んでベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第9番 クロイツェル・ソナタ』は「悪魔的な魅力をマキシム・ヴェンゲーロフさんに教わった」とのことで、とにかく積極的に行け、引いていてはだめだ、といった趣旨の指導を受けたようです。

この日の演奏がこうした教えの影響下にあることは当然で、硬質で突き刺さるような音が多用されていました。作品の構成からして誰が演奏しても闘争的な性格を帯びるのは当然ではあるものの、ヴァイオリニストによってはところどころに貴族的な気品を差し挟む場合もあります。私が耳にした今回の演奏の場合は直線的で男性らしさを想像させるものであり、ピチカートの一音一音すら弓矢のように客席に飛んでいくというスリリングなもの。

もしかして録音で聴くと「あとはところどころで余情がほしい」のような贅沢な要望が生まれてくるのかも知れませんが、ライブなればこその、この興奮をこそ私は大切にしたいと思います。

アンコールにはかの有名なマスネの「タイスの瞑想曲」。この作品が生まれた時代背景を思うとき、もっと甘い音色であっても不自然ではないものの、先ほどのサン=サーンス演奏からもうかがわれたとおり、余計に音楽を崩すことのないもの。この高級感はレクサスとかフーガに乗っているときの心地よさとでも言ったら良いでしょうか。

私の感想は以上になります。この演奏会に行こうと思い立ったのは開催の2日前ですが自分の思いつきに我ながら感謝した一夜となりました。