紛れもない事実ですが、英語と日本語は言語距離が大変遠いです。ドイツ人やオランダ人は英語をかなり上手く使いこなせるのは、ドイツ語やオランダ語が英語と近いからで、日本人にそれができないのはむしろ当然と言えるでしょう。

しかし致命的なことに、現代の世界というのはアメリカが覇権を握っており、したがって英語ができないという時点でハンディキャップを背負っています。
国連公用語は英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語、アラビア語の6か国語ということになっているものの、やはり英語優位であることに変わりはありません。2020年(2021年開催)の東京オリンピック招致のための滝川クリステルさんのスピーチはフランス語でしたが、これはフランス語に付随する文化の香りに着目したもののはず。でも普通の演説とかなら英語で行うのが一般的ですね。

かつて駐日米国大使を務めたライシャワーは、「ここ二十年ほどの間に、私は何十人もの日本の閣僚と知り合ったが、そのうちで、知的に真剣な会話をかわすことのできるのは、せいぜい三名しか思いつかない。西洋史を含む歴史の教授も、ここ四十年間に何百人となく知り合ったが、同じことのできる人の数は、閣僚の場合をそれほど上回らない」。(『ザ・ジャパニーズ』より)

ライシャワーが現役だったのはいまから50年ほど昔のこと。でも今も状況はそんなに変わっていなうような気がします。

むしろ驚愕なのは、英語ができないのに外交官になってしまった人がかつて日本にいたということです・・・。


英語ができない外交官

なぜこういう人選になったのか理解に苦しみます。真珠湾攻撃当時の駐米日本大使は野村吉三郎。
アメリカ側で日米交渉の当事者であったコーデル・ハルは野村を評して「陰気にくすくす笑い、お辞儀をするばかりだった」。「野村の英語はひどかったので、私はしばしば彼がこちらの話していることが本当に分かっているのかどうか疑問に思った」。「野村自身が(交渉の)深刻なお荷物だった」。

とんでもない言われようです。しかも日米開戦にあたり、機動部隊がハワイ艦隊を攻撃する直前に宣戦布告の手続を行うはずが、日本大使館は前日に送別会が行われ、朝遅く出勤してきた職員がハワイが文字通り炎上したその後にようやく宣戦布告の処理を終わらせるという痛恨のミス。

ウィキペディアによると、真珠湾攻撃のあとは
「卑怯な騙し討ちだ」と言われ、針のむしろに座るような思いでその後の半年をワシントンD.C.で過ごす。抑留者交換船でニューヨークからリオデジャネイロ、ロレンソマルケス、昭南を経て日本に戻ったのは翌年8月の中頃のことだった。帰国後は枢密顧問官に転じ、そのまま1945年(昭和20年)8月15日の敗戦(日本の降伏)を迎える。
なんだ、出世してるじゃないか!

戦後はビクターの社長になったり参議院議員になったりと、なんだかずいぶん立派な歩みでした。

では、彼の英語のスピーチを聞いてみましょう。



・・・。

・・・。

駐米大使に着任する前は学習院長を務めたり、外務大臣を務めたりと、当時の日本にとっては余人をもって代えがたい人材だったことがうかがわれます。その彼にしてこのスピーチ・・・。

それだけ当時の日本には英語ができる人材が不足していたことなのでしょう。
戦後、東京裁判では大学生たちもが通訳や翻訳として活躍していたというのは、つまり戦後になってもその状況はあまり変わらなかったのでしょう。

・・・という流れがあっての、ライシャワーのあの発言だったのかと思うと納得がゆく話であり、アジア地域でも日本のTOEFLスコアが圧倒的に低いというのも(受験理由が国により違うとはいえ)やはうなずける話なのでした。なんてこった。