「田舎者でも退却は巧妙だ。クロパトキンより旨い位である」。
これは、夏目漱石の初期の傑作『坊っちゃん』の終盤に出てくる文章です。日露戦争は辛くも日本の勝利に終わりましたが、これは薄氷を踏むような勝ちであり、日本海海戦こそ鮮やかな大勝利だったとはいえこの時点で国力を使い果たしていました。

これをロシアも見抜いていたのか、ポーツマス条約ではロシアは日本に対して一切の賠償金を支払われませんでした。多くの民衆は細かい事情を知らず、なぜもっと勝利の果実を獲得できないのかと憤激することになります。

『坊っちゃん』はそういう時代に書かれたものであり、学生たちの喧嘩に「田舎者でも退却は巧妙だ。クロパトキンより旨い位である」という表現を持ち出すあたり、小説もまた歴史の証言者であることをうかがわせます。


奉天会戦におけるクロパトキンの退却

退却が巧妙だというクロパトキン評は、奉天会戦のことを指しているものと思われます。新潮文庫の注釈によると、クロパトキンは「日露戦争当時、日露戦争当時、極東軍総司令官として日本軍と満州で戦い、奉天会戦で大敗した」。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも奉天会戦は日本海海戦とならんで作中のクライマックスとなっています。

奉天会戦が行われたのは1905(明治38)年2月下旬から3月上旬にかけてのこと。当時のロシアはロマノフ朝の末期で国内の政治は混沌としており、革命が懸念されるなど継戦能力が危ぶまれる一方、日本も日本で退却するロシア軍を追いかけて戦線を拡大すればするほど補給線が長くなり、やはり攻勢を維持することが不可能になりつつありました。

この戦いは、日露戦争の開戦の決断そのものがそうであったように、決戦の時期を引き伸ばせば引き伸ばすほどロシアは後方からの増援が見込まれるため日本にとって不利になります。したがってたとえそれが賭けであっても攻撃を仕掛けて勝利の可能性をこじ開けねばならないというものでした。

戦いの結果は、ロシア軍(クロパトキン)撤退となり、日本軍は奉天を制圧しました。
ウィキペディアによると、

奉天を制圧したことにより、会戦の勝利は日本側に帰したとも言えなくもないが、ロシア軍にとって奉天失陥は「戦略的撤退」であった。100年前のナポレオン戦争でもロシア軍が採用した伝統的な戦法であり、欧米のマスコミも当初はこの撤退を「戦略的撤退である」と報じていた。さらにロシア軍と日本軍では補給能力に格段の差があった。だがクロパトキンが罷免されたことで結果的にロシア軍が自ら敗北を認めてしまった形となり、国際的にもそのように認知されることとなった。代わりに総帥として就任したリネウィッチ将軍は、軍隊秩序を乱した者を処罰していくことによって、軍の建て直しに腐心した。ロシア軍は敗北を認めた上で、やがて日本軍に反撃することを意図していたと言える。
「100年前のナポレオン戦争でもロシア軍が採用した伝統的な戦法」はのちの第2次世界大戦でも有効に機能しました。ドイツ軍がモスクワに進撃すればするほどやはり補給が難しくなり、攻めあぐねているうちに冬が来てしまうという、ナポレオンの失敗をなぞるパターンに嵌まりました。

クロパトキンは戦術的にはたしかに敗北ではあったかもしれませんが、その後もまだ戦争が数年にわたり継続しうると仮定するなら、彼の採用した作戦は成功していたはずで、戦略家の名をほしいままにしたかもしれません。ただこのときは「日本が勝った」のイメージをもとに国際世論が形成されてしまうなど、戦場以外の部分で勝敗が決まったような節もあります。

・・・と、こうやってクロパトキンの退却について調べてみると、『坊っちゃん』の学生たちの退却とクロパトキンのそれはまるで違うものです。見事な語り口で一気呵成に書かれたのがこの作品ですから、これくらいはご愛嬌というものですね。