クラス替えのたびに友だちがいるかなと心配するのは「あるある」でしょう。

で、仲がいい人とまた一緒のクラスになれて喜んだり、ろくに知っている人がいないクラスになって落ち込んだり・・・。このスタートがどうかで1年間の自分のクラスの立ち位置が左右されることもあるので緊張の一瞬です。

「友達がいいひんくてもべつに困らんでしょ。一人で過ごせばいいんやし」。
これは武田綾乃さんの小説『響け! ユーフォニアム』の「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」の高坂麗奈の台詞です。

彼女は進学クラスに所属しており、クラス替えがありません。「うらやましい」「毎年友達いるかなーってドキドキするのは嫌じゃん」と主人公である黄前久美子に言われると、「一人で過ごせばいい」と返答するのでした。

こういうスタンスが似合う人もいれば、孤立していると見られていじめられる人もいます。
その違いはどこから・・・。


クラスで一人で過ごす。これが似合う人といじめられる人の違い

この台詞に続けてのやりとりはこちらです。
「・・・いまの、なんだかすごく麗奈っぽいね」
「アタシっぽいって、何?」
「何かこう、麗奈! って感じ」
「何それ」
原作を読むなり、アニメ版を見るなりした人はご存知のとおり、高坂麗奈は吹奏楽部でトランペットを担当しています。父親がプロのトランペット奏者であり、娘である彼女も卓越した技巧の持ち主。美しい容姿にも恵まれており、「特別な存在になりたい」と願うストイックな性格ゆえに日々練習に励んでいます。それがゆえに、周囲から孤立してもまったく意に介する様子はありません。まるで求道者ではありませんか。

「すごく麗奈っぽいね」という評は、彼女がこのような人となりだからであり、自他ともに認める卓越した能力があるからです。

こういう人は、他人と付き合う時間があるならそのエネルギーを自分のレベルアップに使いたいと願うのは当然のことであり、一人でいることがむしろサマになること間違いなし。

しかし世の中の99%の人はこういう抜きん出た「何か」を持っていないはずです。
こういう人がうかつにクラスでいつも一人でいると、「あいつ、ちょっと馬鹿にしてやろうかな」という空気がいつの間にか生まれます。女子校ならそういうことはないでしょうけれども男子高校生というのは基本的にアホなので、他者に対する思いやりなどほとんど期待しないほうがよいです。で、何かをきっかけにからかいが始まり、ほとんど抵抗してこないとわかるとだんだんエスカレートしていくものです。

言い換えると、普通の人は一人でいると本当にただの陰キャぼっちになってしまうので、何かしら理由を作って人とつるむ手段を見つけたほうが得策です。そうすればもしかしたらクラス替えで知り合った人がその後一生の友人になるかもしれません。まあ、大抵は社会人になれば友人関係なんてフェードアウトしていくんですけどね。

もちろん人と付き合うことには、メリットだけではなくデメリットもあります。前述のとおり、人と付き合うことに時間とエネルギーを費やすため、自分と向き合う時間(たとえば読書を通じていろんな事実を知ったり、作家の思考パターンを覗いたりして、ものを考える時間)や、あなた自身がやりたいと思っていることに取り組む確実に少なくなります。そうなると「自分」というキャラが自分で気付かぬうちに薄くなる可能性も・・・。

どうしても人と一緒にいたくないということであれば、やはり高坂麗奈みたいに誰にも負けない何かを獲得するしかありませんね・・・。こればかりはもう自分の選択の問題なので、どっちの道を歩きたいか、ご自身で判断していただくしかありません。