最近ではタイパという言葉を耳にしますね。コスパがコストパフォーマンスなら、タイパはタイムパフォーマンス。時間あたりの効率や満足度を評価する、わりと最近の考え方です。まあ私なんてそのことにずっと前から気づいていたので、土日はぜったいに誰とも会わないようにしていますが・・・。

でもなんでそんなにタイパにこだわるのか? これはNetflixなどサブスクでいくらでも映画や音楽に触れることができるようになったのが影響しているようですね。

2022年9月13日日本経済新聞記事「ヒット曲「サビまで待てない」 倍速消費、企業も走る」によると・・・。

日本のポップソングの導入部分(イントロ)が最近、やたらと短くなっている――。都内でマーケティングサービスを手掛けるフリーランスのwild orange(ハンドルネーム)さんは、音楽ファンの間で広がっているうわさが本当かどうか気になっていた。
そこで「およげ!たいやきくん」「ラブ・ストーリーは突然に」など昭和・平成のヒットチャート上位20曲と2011年の同20曲を比べてみたところ、ともに平均17秒台で変化はほとんどない。ところがさらに10年後の22年で調べてみると、半分以下の6.3秒と一気に短くなっていた。

理由は音楽配信の普及だ。サブスクリプション(継続課金)で聴き放題のため、利用者は好みの曲を探して次々と再生していく。歌い出しやサビまで時間がかかる曲は、待ち切れずにスキップされることも多い。

なんだか最近はやたらとキャッチーで、サビから始まる曲が多いなと思っていましたがそういう理由だったのか・・・。でもなんだか残酷な気がしませんか。「歌い出しやサビまで時間がかかる曲は、待ち切れずにスキップされることも多い」なんて、あなたがある企業の採用試験を受けたとして、面接の最初の1秒で採否を判断されてしまうのと同じことじゃありませんか。

私がよく聴く音楽のジャンルはクラシックです。ブルックナーの交響曲なんて80分以上かかるものがあります。で、一番盛り上がる場面は78分経過したころにやってきます。ベートーヴェンの『第九』だって、有名な「歓喜の主題」は45分ごろにやっとこさ現れます。それまで主題の部分らしきものが音楽の背景の方にチラチラと見え隠れはするものの、「歓喜の主題」が出るにふさわしい雰囲気が整うまでに45分もかかるのです。「サビまで時間がかかる曲」の最たるもの。21世紀の時間感覚は20世紀までと大幅に異なるようです。

都内で働くある女性は、
配信ドラマを見る時は1.25倍速が標準だ。「ドラマの間(ま)とか情景描写が嫌。とにかく先を知りたいし、無駄な時間を過ごしたくない」。倍速視聴されるのはまだ良い方で、前評判が低ければ見向きもされない。
青山学院大学の久保田進彦教授は「デジタル化でコンテンツ入手のコストや手間が急減し、その瞬間の興味でスイッチしている」と話す。特に若い世代は不安定な低成長期で育ち、少しでも時間という資源を有効に使いたい意識が強い。
これには愕然。『ローマの休日』の最後の記者会見の場面、あれは速度を変えてしまうと雰囲気がぐしゃっと損なわれてしまうものの典型です。
「ご訪問された都市で、どこか一番気に入られましたか?」との質問にアン王女は答えます。「それぞれどこも忘れがたく、決めるのは難しいのですが・・・ローマです。やはり、ローマです。私は、ここでの思い出を生涯大切にすることでしょう」。

「国家間の関係は」との質問には、「これからも守られるでしょう。個人と個人の関係が守られるように」。これに対して記者からは「あなた様の信頼は裏切られることはないでしょう」。

アンとつかの間の休日を密かに楽しんだジョーは記者会見が終わってからもなおこの場を去りがたく、名残惜しげに振り返り、映画は幕切れを迎えます。
こういう儚くもあり、甘くもある情緒を描写するのって、今どきの価値観では「無駄」なんでしょうか。違うと思います。高速視聴はあらすじを速く理解し、次の作品にテンポよく進めるものの、「見た」という既成事実が残るだけであって、こういう鑑賞をされた『ローマの休日』はあなたの心に足あとを残すとは思えません・・・。

・・・と、ここまで書いて思い出すのが『戦争と平和』。登場人物は559名、2,800ページほどのとにかく長い小説。サビまで待てない人は読めない小説間違いなし。
この小説にはピエールという人物が登場します。あることをきっかけに遺産を相続し大富豪になりますがそのせいで悪い女が寄ってきたり、その女が浮気したりとろくでもない目に遭ってしまいます。
後日、ピエールはナポレオン戦争に際して捕虜となってしまうものの、明日をも知れぬ日々の中、これまでの自分の不幸は有り余る自由から生じていたことを知ります。つまり財産があるがゆえの不幸せだったわけですね。その後彼は苦しい行軍の果てに解放され、本作品のヒロインであるナターシャと再会したピエールは、捕虜の経験をつうじて以前とは全く違う人間に生まれ変わり、やがて暖かい家庭を築くところで物語は終わります。

ピエールの経験から察すると、果たして選択肢が溢れかえり、タイパを重視して次から次へと作品を高速視聴する現代人は、インターネットという文明の利器に踊らされているだけで、かえって音楽や映画を味わう喜びから遠ざかっているのではないかと思わざるを得ません。