葛飾北斎の有名な連作『冨嶽三十六景』の中の一枚に「神奈川沖浪裏」という作品があります。

たぶん誰もが頭の中で「ああ、あれね」と思い浮かべることができるでしょう。

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壮大に打ち寄せる波の、なんと見事なこと! 当時カメラなんてものはありませんが、葛飾北斎は一瞬の波の動きを見事に捉えて版画の中に封じ込めています。

作家・百田尚樹さんは『成功は時間が10割』という本のなかで、絵の後景に描かれている富士山に注目しています。山こそはまさに不動の象徴であり、葛飾北斎は動かないものと止まらないもの(波)を一つの絵の中に組み入れたと主張しています。つまり「時間の静止と動き」を同時に描いたのであり、だからこそはるかヨーロッパの画家たちをも驚嘆させたのだ、というわけです。

時間なんていう目に見えないし手で触ることができない、ある意味謎な概念ではありますが、それをたった一枚の版画のなかで表現しているわけですからそれは驚くことでしょう。

フランスの作曲家、ドビュッシーは『海ー3つの交響的スケッチ』という作品の制作過程でどうやら「神奈川沖浪裏」にヒントを得たらしく、「神奈川沖浪裏」の左半分の大きな波の部分が初版楽譜の表紙に印刷されています。

『海』は第1楽章が「海上の夜明けから真昼まで」。第2楽章は「波の戯れ」であり、第3楽章は「風と海との対話」というサブタイトルが付けられています。どうやら時間の推移とともに海はどういう表情を見せるかということを表現しているらしく、であれば北斎をわざわざ表紙に印刷させたのもうなずける話です。

ただドビュッシーはやはり西洋人、『海』は理屈っぽく構成されており、複数の楽章にわたって同じメロディが現れたり、動機(細かくて特徴的な音の動き)を使う「循環形式」が用いられています。似たような音符の連なりが、朝の海、昼の海、風に吹かれて波立つ海をイメージさせるように変形されて登場したり、複数のメロディや動機がお互いに影響を与えあって「さっきとは似ているが違うメロディ」が新たに生み出されたり・・・といった複雑な構成です。

でも確かに波って相互作用とでも言うのでしょうか、進行方向が違う波と波がぶつかり合って三角波が発生したり、潮の干満で渦巻きが発生したりと、見ているぶんには「ああきれいだな」で終わってしまうものの動きを追究しようとするとものすごく複雑な計算をしなければなりません。つまりはドビュッシーなりに「いろんなものがごちゃごちゃと混ざり合ってまた別の波ができては消えていきました」という、海独特の時間の流れを表現したかったのでしょう。
それにしても葛飾北斎の表現の狙いが百田尚樹さんが見抜いたとおりだとしたら、まさに彼は不世出の天才だったとしか言いようがないですね。