ベストセラー小説『永遠のゼロ』の参考文献のひとつとされる神立尚紀さんのノンフィクション『祖父たちの零戦』は、元搭乗員124名への2000時間にもおよぶインタビューをもとに書かれた畢生の大作です。

この著作のなかで、神風特別攻撃隊の発案者とされる大西瀧治郎中将は、フィリピンをめぐる攻防のさなかに角田和男少尉に特攻隊の狙いをこう説いたとされています(この本に記載されているのは大西中将の言葉そのままではなく、戦後角田少尉が記憶をもとに神立さんに語ったことなので、事実と若干のずれがある可能性があります)。

これ(特攻)は九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。だが、ここに信じていいことが二つある。天皇陛下はこのことを聞かれたならば、戦争をやめろ、と必ず仰せられるであろうこと、もうひとつは、その結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族がまさに滅びんとするときに、身をもってこれを防いだという若者たちがいたという事実と、これをお聞きになって陛下自らのお心で戦を止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するだろう、ということである。

はたしてこれが大西中将の本心であったのか、死地へ若者たちを追いやることの自己正当化がしたかったのか・・・、それは分かりません。しかし、日本が戦争に敗れると、自らも非人道的作戦の責任を取るべく自刃しました。これは間違いのない事実です。

敗戦の後、零戦の搭乗員たちは各々の故郷に帰ります。つい先日まで英雄扱いされていた彼らを待っていたのは、街の人々の冷たい視線でした。

上記の『祖父たちの零戦』の語り手の一人である進藤三郎氏は、戦争が終わって地元広島に戻ります。
すると小学校高学年くらいの子供たちが「戦犯が通りよる」と言って石を投げつけてくるのでした。
零戦パイロットだっただけに、戦時中はヒーロー扱いで新聞に写真付きで記事が掲載されていたので地元では有名人だったようです。でもひどくありませんか。戦争に負けたのは進藤氏のせいではありません。にもかかわらずころっと手のひらを返したように石を投げるなんて・・・。

広島に進駐してきたのはオーストラリア軍でした。ひと目で下っ端だとわかる兵士に、日本の女性たちがチューインガムをクチャクチャと噛みながら付き従う光景を見た時、進藤氏はつくづく世の中が嫌になったとか。そりゃ嫌になりますよね。こんなんじゃ、五百年どころか百年もつかどうか怪しいです。

新聞もラジオも、軍国主義の片棒を担いでいたのにいつの間にか「軍国主義はいけない、これからは平和主義だ」という論調に変わっています。

大西中将が守りたかった日本、進藤氏ら多くの将兵が身を捧げた大義、これはいったい何だったのか・・・。

こういうことは枚挙に暇がありません。近年の事例でいえば2021年に開催された東京オリンピックもそうです。開催前は「この大会のせいで新型コロナウイルス感染症が拡大する!」のようにマスコミは悪魔のごとく扱っていました。
ところが日本人アスリートが大活躍して金メダルを大量に獲得するところっと手のひらを返して「感動をありがとう」。何だお前らは。私はリアルタイムでこのオリンピックの時代に生きていて(当たり前)、ますます人間が嫌いになりました。

このように人の評価というものはちょっとしたことをきっかけにガラッと変わってしまうことがあるのです。しかしながら、太平洋戦争末期にあって負け戦だと悟りつつも自らの命を国のために差し出した若者たちがいたことは紛れもない事実であり、彼らが書き残した遺書は、それが本心ではないにせよ、その文章を涙を流しながら読むであろう家族のためを思って背伸びをして書いてあることが伺われるだけに次世代へ必ず語り伝えられる価値があるものです。

『祖父たちの零戦』を読み、コロコロと意見を変える人間にはなりたくない・・・。強くそう思いました。