小学校6年のころ、クラスで謎にエアガンが流行ったことがありました。
銃というと安倍元首相銃撃事件を思い出すので、今はもう銃にたいして嫌な思いしかありません。
が、今をさかのぼること二十数年前、そんな未来が待っていようとはつゆ知らず、小学生たちはベレッタとかなんとかいうエアガンを使って小学校の校庭とか近所の公園とかで銃撃ごっこをしていたのです。
設定がなんだか無理があって、「昭和17年頃、まだ日本軍が有利だったころの太平洋戦争」。
それでどこかの島? で銃撃戦? になって滑り台とかの陰から敵を撃つのでした。
で、嫌いな奴に狙いを定めてバン! とやるわけです。エアガンは1発撃つごとに空気を込めなければならないので速射ができません。ガス銃だと連射できるので羨ましかった・・・。
などとエアガンを撃って遊んでいると、なぜか周りの人すべてが敵兵=標的に見えてくるのでした。今にして思えば不思議な心理です。
その私はランニングをしています。アスリートとしての適正もゼロなので、ランニングを始めて6年は経過しているのにいまだにフルマラソンに挑戦できていません。ただただ近所の畑とか大学の周りとヨタヨタと走っているだけです。
ところが不思議なもので、エアガンを持つと誰もが標的に見えてしまうのと似たような心理が働いてきます。走っていると、目の前を横切る人、すれ違う人すべてが邪魔者に思えて人が視界に入ってくるたびにイライラしてしまうのです。この心理は一体何でしょうか?
ある会社の女性社員たちが、バレーボールのチームを結成しました。
最初のころは仲良くゲームをしていました。
ところがある時から、「もっと真剣に練習を頑張って試合で勝ち上がりたい」と思う人たちと、「そこまでしなくても、ただ週に1,2回ほど適度に運動できる機会があればいい」と思う人たちに分裂していきました。
そして「もっと真剣」グループは自分たちで別のチームを結成するのですが、練習を頑張れば頑張るほど、なぜか「適度に運動できれば」のグループを見下すような心理になっていくのでした・・・。
思えば、夏目漱石の小説にも都会に出て学問を修めると、田舎の家族がなんだか物足りない人間に思えてくる・・・、といったような場面がありました(『こころ』です)。
頑張れば頑張るほど、「そうじゃない人」を軽んじるようになってしまうなんて、ただの腐ったエリート意識でしかありませんが、自分がそういう奴になっていることをまったく自覚していないなんて、人間の心理というのは本当に謎なものです・・・。
銃というと安倍元首相銃撃事件を思い出すので、今はもう銃にたいして嫌な思いしかありません。
が、今をさかのぼること二十数年前、そんな未来が待っていようとはつゆ知らず、小学生たちはベレッタとかなんとかいうエアガンを使って小学校の校庭とか近所の公園とかで銃撃ごっこをしていたのです。
設定がなんだか無理があって、「昭和17年頃、まだ日本軍が有利だったころの太平洋戦争」。
それでどこかの島? で銃撃戦? になって滑り台とかの陰から敵を撃つのでした。
で、嫌いな奴に狙いを定めてバン! とやるわけです。エアガンは1発撃つごとに空気を込めなければならないので速射ができません。ガス銃だと連射できるので羨ましかった・・・。
などとエアガンを撃って遊んでいると、なぜか周りの人すべてが敵兵=標的に見えてくるのでした。今にして思えば不思議な心理です。
走り出すと誰もが邪魔に見えてくる心理
時間は流れ・・・。私はどうでもいいサラリーマンになり、仕事のかたわら「友だちいない研究所」というブログを始めました。このブログです。もともと社会人として大した能力を持っていないので、平社員のままです。このブログもイケダハヤトさんとかはあちゅうさんみたいに大量の読者が毎日のようにチェックする・・・なんていうことはなく、いかにも根暗な人間が書きそうなことが書き連ねてあるだけです。その私はランニングをしています。アスリートとしての適正もゼロなので、ランニングを始めて6年は経過しているのにいまだにフルマラソンに挑戦できていません。ただただ近所の畑とか大学の周りとヨタヨタと走っているだけです。
ところが不思議なもので、エアガンを持つと誰もが標的に見えてしまうのと似たような心理が働いてきます。走っていると、目の前を横切る人、すれ違う人すべてが邪魔者に思えて人が視界に入ってくるたびにイライラしてしまうのです。この心理は一体何でしょうか?
頑張れば頑張るほど他人を見下すようになる謎心理
あくまでもこれは架空の事例ですが、似たような話は全国どこでもあるはずです。ある会社の女性社員たちが、バレーボールのチームを結成しました。
最初のころは仲良くゲームをしていました。
ところがある時から、「もっと真剣に練習を頑張って試合で勝ち上がりたい」と思う人たちと、「そこまでしなくても、ただ週に1,2回ほど適度に運動できる機会があればいい」と思う人たちに分裂していきました。
そして「もっと真剣」グループは自分たちで別のチームを結成するのですが、練習を頑張れば頑張るほど、なぜか「適度に運動できれば」のグループを見下すような心理になっていくのでした・・・。
思えば、夏目漱石の小説にも都会に出て学問を修めると、田舎の家族がなんだか物足りない人間に思えてくる・・・、といったような場面がありました(『こころ』です)。
頑張れば頑張るほど、「そうじゃない人」を軽んじるようになってしまうなんて、ただの腐ったエリート意識でしかありませんが、自分がそういう奴になっていることをまったく自覚していないなんて、人間の心理というのは本当に謎なものです・・・。
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