むちゃくちゃに分厚くて、挫折した人は山のようにいるに違いありません。トルストイの『戦争と平和』は文庫本にして2500ページを超える超大作です。皇帝アレクサンドル一世やナポレオンから、主要キャラクターのアンドレイ、ピエール、ナターシャをはじめとして、「とりあえず出てきました」感がモリモリな兵士Aとか兵士Bとか、しまいにゃフリーメイソンの会員AとかBとか。

登場人物すべてを数えてみた暇な人がいるらしくて、総勢559人! 私なら、そんなことする暇があるなら筋トレやってますけど・・・。

で、この小説で本当に重要なのはアンドレイ、ピエール、ナターシャのたった3人。
だったらもっとコンパクトに作れんのかとツッコミを入れたくなります。いや現代の小説家ならぜったいにそうしてるでしょうね。だって、559人全員が必然性がある登場の仕方をしているとはとても思えませんもの・・・。

一体、なぜこんなに人間だらけなのか? 

そう言いたくもなる『戦争と平和』。

もしかするとこのあたりにトルストイの狙いがあったのではないか・・・。そういう文章を『戦争と平和』に見つけてしまいました。


『戦争と平和』の登場人物がやたらと多い理由

新潮文庫版では第4巻つまり最終巻にあたります。
ロシアに攻め込んだナポレオンは、戦線を維持できず潰走してゆきます。これで「俺たちは戦争に勝ったんだバンザイ」となればめでたいのですがロシア軍もそんなに余裕はなかったようです。
ピエールも捕虜になってしまい、その中で知り合ったのがカラターエフという男。
ピエールはフランス軍の捕虜となり、貧しい農民兵カラターエフと出会う。そしてカラターエフの生き方を見て、これまでの自分の不幸は有り余る自由から生じていたことを知る。
NHKの『100分de名著』のウェブサイトにはこのように紹介されています。ところがカラターエフも行軍の途中で死んでしまいます。が、彼の死がよほどピエールにとってインパクトがあったのか、カラターエフに触発されたピエールはスイスで地理を教わったときのことを夢に見るのでした。

「待ちなさい」と老教師は言った。そして彼は地球儀をピエールに示した。その地球儀は、境界の一定していない、生きもののようにゆれ動く球体だった。表面はびっしりとくっつきあった無数の水滴からなっていた。そしてこれらすべての水滴が動き、まじりあい、いくつかの水滴がひとつにとけ合ったり、ひとつが多くの小さな水滴に分れたりしていた。どの水滴もひろがって、広い場所を占めようとするが、他の水滴もねらいは同じなので、押し合いをし、ときにはつぶしたり、ときにはひとつにとけ合ったりしていた。

「これが人生というものだよ」と老教師が言った。

(中略)

「中心に神がいる、そして、どの水滴もひろがって、なるべく大きく神を映そうとする。そして表面でひろがり、とけ合い、つぶれて、底へ去り、そしてまた浮き上がってくる。そら、あれがカラターエフだ、そら、ひろがって、消えた。<わかりましたか、坊や>」と老教師は言った」
つまり世の中にいる無数の人々、それこそナポレオンから農民Aまでみんながそれぞれの意志・都合で言いたい放題言ったり暮らしたりしまいには戦争まで始めたり・・・。そういう有象無象が人生であり、その集合体が歴史であり、歴史が神の意志を図らずも反映している・・・。トルストイが膨大な登場人物を投入してまで言いたかったのはそんなところではないでしょうか。

有象無象の人間といえば、思い出すのはこの光景。



「おいなんとかしろ店員よお!」と怒号が飛び、イタリアの貴族モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ卿が店員に抗議しています。この光景はビックカメラ有楽町店における「プレイステーション3」の発売日当日早朝のこと。ただのお笑い映像でしかありませんが、『戦争と平和』の無茶苦茶な人間の山を見た後では、「これも神の意志なのかな」となぜか優しい気持ちになれること間違いないでしょう。「人間がゴミのようだ!」なんて、けっして言ってはいけません(思うだけならバレません)。