夏が終わる気配を感じるときが誰しもあるはずです。お盆が終わると天気が夕方になると崩れがちになり、そのとき不意に秋の気配を感じてしまったりとか。こういう情緒は四季のない国では育まれませんから、大切にしたい感性です。
古くから多くの歌人が秋の訪れを和歌に託してきました。ここではブログ記事の本筋と外れるのでいちいち引用はしませんが、季節の移ろいにもののあはれを感じるのは今も昔も同じようです。
そんなときになにやら夏の終わりを感じるクラシックの曲を聴いてみたくなる人もいることでしょう。
人の感じ方は千差万別なので私にとっての「夏の終わり」があなたにとっての「夏の終わり」かどうか・・・、完全一致することはないはずですが、自分なりに思いつくままいくつか取り上げてみたいと思います。
1.リヒャルト・シュトラウス『四つの最後の歌』より「九月」
リヒャルト・シュトラウス最晩年の曲であり、これよりも美しい曲は見つけてくるのが難しいでしょう。現役時代はお金にずいぶんと執着したとか。オペラを指揮して帰宅すると、「パパ、今日はいくら稼いだの?」。「おお、お前も俺の息子になったな!」と大喜びしたそうです。その他、大してヒトラーを尊敬していたわけではないのにナチス時代に帝国音楽院総裁に着任し、戦後に非ナチ化裁判の被告となるなど、大変なとばっちりを受けています。
一言で言えば「俗物」であった彼がどうしてこんなに綺麗な曲を作れたのかまったくの謎ながら、20世紀の歌曲で抜きん出て演奏頻度が高いものとなっています。
4つあるうち、1曲「夕映えの中で」はアイヒェンドルフの詩、のこり3曲「春」「九月」「眠りにつこうとして」はヘッセの詩をテキストにしています。いずれも人生の終わりを意識した曲調であり、緻密なオーケストレーションのなかに諦観がにじみます。
2.ヴォーン・ウィリアムズ「トマス・タリスの主題による幻想曲」
ヴォーン・ウィリアムズは1872年生まれ、イギリスの作曲家で1958年没。
あまり知られていませんが民謡の採集や教会音楽の研究を通して独特の作風を確立したとされています。
タリスは16世紀、ヘンリー8世からエリザベス1世までの4代の国王に仕えた作曲家で、彼が残した詩篇曲集のひとつが「トマス・タリスの主題による幻想曲」に使われています。短い導入のあとに続くメロディがタリスの主題で、ソロや合奏など様々に展開されます。
二つの弦楽合奏と弦楽四重奏というめったにない編成になっており、グロスター大聖堂で行われた初演では石造りの空間に弦の音が響き渡り、あたかもオルガンを聴いているような演奏効果を発揮したと伝えられています。
聴いてすぐ分かるように、なぜかどことなく儚げな雰囲気が漂います。しかも曲調からして未来志向ではないですね。個人的には8月の終わりに軽井沢で聴いてみたいです。
3.マーラー『交響曲第9番』
マーラーの交響曲はどれも「死」をテーマにしています。
全曲を通しで聴くと80分近くかかることも(指揮者の指定するテンポで若干異なります)。
ベートーヴェンら大作曲家が9番まで交響曲を書き上げて死んでしまったことをジンクスに感じたマーラーは、9曲目の交響曲を『大地の歌』と名付けました。そして10番目の交響曲がこれになるはずでした。ところがマーラーの死後、この作品は『交響曲第9番』と呼ばれているのです・・・。
第1楽章と第4楽章はたいへんメロディアスながらも、生をもとめてのたうち回る姿や、少しでも美しい世界にとどまっていたいという憧れの念が封じ込められた畢生の作です。
マーラー自身の死により、自らオーケストラを指揮して初演を果たすことができませんでした。彼の交響曲は普通、初演ののちに若干の修正を加えて完成としていたため、もしもう少し彼が長生きしていたらもっと素晴らしい出来栄えになっていたかもしれません。
「トマス・タリスの主題による幻想曲」が8月末の軽井沢なら、こちらはバカンスシーズンを過ぎて人が少なくなってきたときのベネチアといった風情でしょうか(個人的見解)。
・・・と、夏の終わりらしさが感じられる曲を列挙しました。
『四つの最後の歌』はドイツ語歌唱、マーラーは長すぎるという難点があるので、もしどれか一つとなったら必然的に「トマス・タリスの主題による幻想曲」が一番とっつきやすいということになるでしょう。CDで探すならネヴィル・マリナーの録音が一番手に入れやすいかと思います。
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