もう記事タイトルそのままですね。私はワインを飲むのが好きですが、職場の飲み会は大嫌いです。新型コロナウイルス感染症のおかげで(?)、飲み会というものがほとんど消滅して、もう3年ほど職場の飲み会に出席していません。これぞウイルスの平和利用。
正直、職場の飲み会なんて一生追放で十分だと思っています。心の底から。
ところが2022年初夏になってなにやらぼちぼち飲み会が復活し始めてしまいました。ずっとくたばっていればいいものを、お前はゾンビか?
職場の飲み会に自分だけ誘われなくて嬉しい
というわけで、私の周りで「誰々と飲みに行った」という話をちょくちょく聞きますが、あくまでも事後に「そういうことがあった」と知る程度。また、「こんど飲みに行きましょう」という会話も聞こえてきても、「あなたもどうですか」という展開にまったくなりません。
私は職場にとくに愛着がなく、したがって人間関係もまるで増やそうとしていません。昼休みも必ず一人で食事をしています。だって人との会話がまるで面白くないのです。
こんな毎日なので私の人気などゼロ。私の中で職場の同僚への仲間意識もゼロなのでプラスマイナスゼロ。これはこれで釣り合いが取れています。飲み会に誘おうという人もまるでおらず、余計なことに時間を奪われません。これを平和と言わずして何と言うのでしょうか?
ご存知の通り、時間というのは有限ですから業務の延長でしかない飲み会に時間を費やすのは愚かです。これでお金や時間、エネルギーを失ってしまうのであれば、自分がもっと価値を感じられることに情熱を傾けたほうがよほど良いでしょう。
過去の偉人たちの名言を辿っていると、時間の大切さを戒めるものが多いことに驚かされます。
「時間の浪費ほど大きな害はない」(ミケランジェロ)
「賢い人間は時間を無駄にすることに最もいらつく」(ダンテ)
「成功者のほとんどは他人が時間を浪費している間に先へ進む。私はこれを見てきた」(フォード)
何らかの分野で抜きん出た能力を持つ人は、時間というものの価値を子供のころから無意識に知っていますし、だからこそ幼いころから毎日のように何かに真剣に打ち込んでいます。たとえばイチロー選手などがそうでしょう。
他方で普通の人は、自分の人生の折り返し地点に立ったころ、人生の残り時間の少なさに気づいて愕然とするものです。でも無為に過ごした数十年は戻ってきません。これがイチロー選手との差であり、つまり私のようなサラリーマンは所詮その程度の器でしかなかったということです。せいぜい、残された時間を少しでも有効活用できるように努力するのが良いでしょう。
その点、職場の飲み会は好きでもない(むしろ嫌いな)人と時間を強制的に共有しなければならないという、まさに「時間の集団自殺」。職場の飲み会など誘われなくて、むしろ幸せと思うべきでしょうし、浮いた時間で筋トレでもしている方がよほど価値ある時間の使い方です。
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